哲学的な彼氏企画 下巻
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『真人くん、おはよう』

 俺には、恋人がいる。

『実は待ってたの。一緒に行かない?』

 可愛くて、優しくて、仕草豊かで、何より俺に一途の素敵な彼女だ。
 朝はいつも一緒に登校するし、下校する時も一緒だ。俺の好みに合わせてお弁当を作ってくれることもあるし、態々朝家まで起こしに来てくれることもある。休日には勿論、二人で市内のあちこちをデートして周っている。
 ――この彼女が出来てからというもの、俺の生活は実に彩り鮮やかで、潤いに満ちているように思える。
 今日は土曜休日なので、彼女同伴で部室に向かう。

「おはようございま〜す」

 部室には、休日だというように、既に俺以外の全員が集合していた。
 尤も、全部員と言っても、引退間近の3年生が二人、2年生が俺一人、新1年生も一人きりという弱小文芸部ではあるのだが。

「ん〜、おはよ〜、真人くん〜」

 何時も通りの野津原先輩の少し間延びした声。蒲江先輩は本から目を離さずにパタパタと手を振ってくれた。――ふと、違和感が。最後の一人。一番喧しい馬鹿の声が聞こえない。いつもなら真っ先に声をかけてくるのだが。

「おい、どうにかしろ、アレ」

 蒲江先輩が、指で部室の隅の椅子を指した。
 そこにに俯いて座っていた最後の一人――体育会系で哲学好きの新入生、津久見理子は、特異点でも発生させているかのような、どんよりと黒いオーラを全身に纏い、部室の空気を重苦しいものへと変えていた。

「あちゃ〜、こりゃあ悪戯が効きすぎたかな?」

 原因には、まあおおよその予想はついている。……というか、一つしか考えられない。

「あの〜、津久見さん……?」

 恐る恐る声を掛ける。津久見は身じろぎ一つせず、輝きの消えた瞳でじっと机上を凝視していた。

「お〜い、津久見さ〜ん、聞こえてますか〜?」

 顔の前で、ひらひらと手を振ってみる。――と。その手首を、津久見の指ががっしと掴んだ。この細い腕のどこにそれだけの力があるのか、万力のような力でギリギリと捻り上げられる。

「嘘、つきましたね、先輩」

 普段の快活な笑声とは似ても似つかない低い怨嵯の声。俺は冷や汗を流して言い訳をした。

「い、いや、あれだ、たまには気分転換になるかなあ、と思って3ちゃんねるを紹介してみたんだが……」

 津久見は机を叩いて立ち上がり、噛み付くような剣幕で俺に迫ってきた。

「先輩の大嘘つき! 何が優しく小説の指導をしてくれる掲示板ですか! みんなからよってたかってボロボロに貶されたんですよ、私! そりゃあもう、どうすればここまで酷い人格毀損ができるのか、ってぐらい、ボロっボロに貶されたんですよ!!」
「……そりゃ、その、大変だったな」

 正直な感想を言うと、津久見の小説を3ちゃんに投稿したら、ごく当然の流れとしてそうなるだろうなあ、と納得している自分がいる。そういえば、夕べはチェックするのを忘れていた。帰ったらスレを覗いてみるとしよう。

「貶されただけならいいんです」
「ん? それだけじゃないのか?」

 ええ、と答えて津久見は忌々しげに唇を噛んだ。

「どんな奴がこんなのを書いたんだ? って書き込みがあったんで、普通の16歳の女子高生です、ってレスしたんです。そしたら、ネカマじゃないのか? だとか、その、お、お、お、おっぱい見せろだとか、気持ち悪い大きな顔文字とか、卑猥で大変態的な書き込みが山ほど来てっ!」
「………………」

 分かっていたことだけど、馬鹿だ、こいつ。3ちゃんで女子高生です、なんて自己紹介する奴を初めて見たぞ。さぞや猥褻な書き込みが殺到したことだろう。津久見の胸元にちらと視線を向ける。――そこは、男の俺から見ても悲しくなるぐらいに真っ平である。

「あ〜、そりゃまあ、仕方ないだろう。おまえの胸じゃ、見せても男の胸にしか見えないだろうから、ネカマ扱いされてもしょうがないんじゃねえの?」
「セっ、セっ、セっ、セクハラですっ! 訴えたらお金が取れるレベルのセクハラですっ! っていうか、見せてませんから! それよりまず、幾らなんでもそこまで小さくありませんから! ってああ、一体何を言わせるんですか先輩は!」
「よ〜しよし、やっと何時もの調子が戻ってきたな」

 湯気を上げんばかりの津久見の頭をぽむぽむと叩くと、まだ怒り足りないのだろう、む〜、と不満げな表情を浮かべながらも、津久見は口を噤んだ。

「騙したことは悪かった。でもいい勉強になっただろ? あれがおまえの小説を読んだ一般人の反応という奴だ」
「3ちゃんを一般人と呼ぶのはかなり同意しかねるとこだがな。津久見君、そう気にすることはないぞ。あそこの住人は大抵の相手には噛み付くからな。真っ当に評価されなくて当然だ」
「気にしますよぅ」

 駄々をこねる子供のように、津久見は口を尖らせた。

「だって、別の場所じゃ、佐伯先輩の書いたものが大人気なんですよぅ!」
「あ、わたしも理子ちゃんにURL教えてもらって読んだよ〜。真人くんのは、小説というより体験談みたいな感じだよね。え〜と、血の繋がらない義理の妹さんに愛の告白をされて悩んでる、っていうロマンチックなお話だったよね。……あれ? そういえば、真人くんに兄妹なんていたかなあ? あ! 義理の妹さんだから、最近できたのかなあ!」

 ぽん、と手を打つ野津原先輩に、蒲江先輩が突っ込んだ。

「こいつはずっと一人っ子で、その血の繋がらない義理の妹とやらは、こいつの脳内の存在だ。そういう妄想日記を3ちゃんに書き綴って賞賛を浴びるのが趣味の根暗い奴なんだ。そっとしといてやれ」
「釣りだろうとマジレスだろうと、住民を楽しませることができるならいいスレですよ。そういう意味じゃ、一番端的にエンターテイメントとはどういうものかを味わうことができる場所ですね」
「……何にせよ、低俗な娯楽の部類には違いないんだがな」
「ショックです。私の自信作の哲学小説が、先輩の空想恋愛小説に敵わないなんて……」
「ん〜、気を落さなくていいと思うよ〜。単純な人気で言うなら、真人くんは『たんぽぽ』の中でもぶっちぎりで一番だからね〜。理子ちゃんの自信作でもそう簡単には勝てないよ〜」
「ふむ――読者ウケで佐伯に対抗できるのは、智ちゃんぐらいのもんだな」
 
 この部の中でタブーとなっている名前が出た瞬間、微妙な雰囲気が部内を満たした。

「……勘弁して下さい、智ちゃんには敵わないですよ、ほんと」
「あの人は特別、別格ですよぅ」

 誰もが認める影の実力者、智ちゃん。今月はまだ部室に顔を見せていない。出来れば、このままずっと顔を見ずに済むように祈りたいものである。

「でも、やっぱり、納得いきませんよう! どこかで見たような筋書きの先輩の妄想話が大人気で、私が苦心を重ねて作った斬新な哲学小説がボロボロに貶されるなんて……」
「誰も、斬新な小説なんて求めてないってことじゃないのか? 大抵の読者は、そこそこ安定した面白さの既存のジャンルの話を読みたがってる、って感じだな」
「それは、何となく私も分かります。でも、それが本当に面白い物語なら、ジャンルとかパターンとか関係なしにウケるものじゃないんですか?」

 また、甘ったるい理想論を。そもそもの問題として――。

「単純に読み物として見た場合、おまえの書いてる話は大して面白くないからな。自業自得というやつだろう。――この調子じゃ、哲学の面白さを下々に知らしめるような小説が出来上がるのは、猿にタイプライターを打たせてシェイクスピアが書きあがるのを待つよりも時間がかかりそうだな」

 ――突然、景気のいい音を立てて、俺の側頭部にコーヒーの空き缶が直撃した。

「あ痛」

 空き缶を投擲した姿勢で、蒲江先輩が眼光鋭く俺を睨めつけていた。

「猿畜生如きがシェイクスピアを書ける訳ないだろう。ふざけたことを言うのも程々にしろよ」

 そうだった、この人には、シェイクスピア関連のジョークは一切通用しないのだった。

「――失礼しました。シェイクスピアは人類の至高の文学でしたね。申し訳ございません、猿や津久見のような下等な生物と比較した俺が間違ってました」
「うむ、分かればよろしい」
「……佐伯先輩は、とことん私を馬鹿にしなくちゃ気が済まないんですね」

 大きく嘆息して、津久見はひょいと蒲江先輩の読んでいる本を覗き込んだ。

「うわぁ、相変わらず蒲江先輩は難しい本読んでますねー。これ、アルファベットだけど、英語とは少し違いますよね?」
「ああ。ハムレットの原書――古英語で書かれている。何だ? 興味があるのか?」
「はい、蒲江先輩が語ってるのを聞いて、シェイクスピアってそんなに凄いものなのかなー、っと少しだけ」

 あの馬鹿! 蒲江先輩の押してはいけないスイッチを! 止める暇もあればこそ。銀縁眼鏡の下の、蒲江先輩の瞳の輝きが変わった。

「津久見君は佐伯の奴と違って、中々いい目の付け所をしているな。ふふ。凄いとも。シェイクスピア程凄い作家はいないと俺は思っているよ。最高の劇作家だ。シェイクスピアの戯曲には人間の人生そのものが表れている。作品の中で語られる名言、至言は数知れない。
 佐伯の奴はライトノベルを指して、それぞれの読み方というものがある、などと言ったが、シェイクスピアの作品はそんな窮屈な枠には囚われない! 読者が望むように読み解けるだけの懐の深さも持っているんだ! ……もちろん津久見君、君の好きな哲学だって、たっぷりと内包している」
「哲学も、ですか?」
「ああ、シェイクスピアの哲学は深遠だよ――。
『愛は食べすぎるという事がない。欲情は食いしん坊で食べすぎて死んでしまう。愛には真実があふれているが、欲情はこねあげた虚妄に満ちている』
『偉人には三種ある。生まれたときから偉大な人、努力して偉大になった人、偉大な人間になることを強いられた人』
 シェイクスピアの戯曲は、語り尽くせない程の彼の哲学ではちきれんばかりだ。――本当に優れた文学とは、佐伯の言うライトノベルのように読み方を指定されるような貧困なものではなく、様々な面から自由に読み解くことができるものだと、俺は思っているけどな」

 普段の仏面丁はどこへやら。蒲江先輩はうっとりと両腕を広げてシェイクスピアの魅力を滔々と津久見に語った。果たして、それがどこまで津久見に理解できるものかは分かったものではないが――確かに、先輩の言うことは一理ある。
 物語の価値など、受け手の解釈によって変わるもの。――そんな相対主義で片付けてしまうのは簡単だが、この世に数多ある文学作品の数々を並べてみたならば、そこには必ず優劣が存在する。世間の格付けによる偏見や、個人の嗜好の偏りはどうしてもあるが――それを踏まえてもなお、後世に名を残し、燦然と輝き続ける名作は必ずあると断言できる。
 先輩の愛するシェイクスピアもきっと、そんな普遍的名作としての地位に至った稀有な作品群だ。

「うわあ、先輩の読んでる本、日本語が全然無いじゃないですか! 翻訳されたものじゃなくて原書を読むと、何か違った発見とかあるんですか?」

 そうこうしている間に、津久見は興味深そうに蒲江先輩の読んでいたハムレットの原書をしげしげと眺めていた。
 ……あまり、先輩を調子に乗せるのは程々にしといて欲しいものである。蒲江先輩は普段はクールで冷静だが、シェイクスピア関係で燃料が入り過ぎると収集がつかなくなるのだ。先輩は益々機嫌良さげに、人差し指を立てて講義を開始した。

「”To be ,or not to be,that is the question.”
 ……有名な言葉だが、知ってるか?」
「あ、蒲江先輩も私を馬鹿にしてー。有名な台詞だから私でも知ってますよぅ、
『生きるべきか、死ぬべきか、それが問題だ』……ハムレットの名台詞ですよね」

 蒲江先輩が裂けるような笑みを浮かべる。

「ああ、シェイクスピアの名台詞の中で最も有名なものの一つだ。君が今言った通り、『生きるべきか、死ぬべきか、それが問題だ』――そう訳されるのが通例だ。だが、それが定着したのもごく近年の話でね」
「それまでは、どう訳されてたんですか?」
「色々さ。一番訳すのが難しい台詞とさえ言われることもある台詞だからね。今までにも、本当に多くの訳者がこの台詞をどう訳すかに苦心してきたんだよ。
『定め難きは生死の分別』『生き続ける、生き続けない、それがむずかしいところだ』『世に在る、世に在らぬ、それが疑問ぢゃ』『どっちだろうか、さあそこが疑問』
 長いところじゃ、『第一、生きて居るか、死なうといういふ事を考える逆境に立って苦しんでも、生きて居るのが幸か』なんてものまである」

 ほえー、と口を開けて津久見は蒲江先輩の台詞を聞いていた。俺は、原書を読むどころか、訳書のバージョン差分まで暗誦できる先輩の偏執的なシェイクスピアへの愛に、かなり引き気味である。
 津久見は、好奇心100%の瞳で先輩に問うた。

「それで、一番正しかったのが、『生きるべきか、死ぬべきか〜』なんですか?」

 蒲江先輩は不敵に笑って先を続けた。――何となく、今の先輩の胸中が分かる気がする。津久見は、無駄に好奇心旺盛で、何にでも食いつきがいい。一般人には簡単に理解出来ない趣味を持つ先輩たちからすると、ごく単純な興味で話を聞いてくれる後輩というのは、可愛くて仕方がないのだろう。

「訳というのは所詮日本語による置換だ。”To be ,or not to be,that is the question.”という一言で、台詞自体は美しく完結してるのに、それを無理に違う言語に書き換えようとするからこんな煩雑な事態を招くことになる。日本語に訳した時点で、それは原典のシェイクスピアから離れていってるんだよ。
 こんな例は幾らでもあるぞ。――もう一つ、ハムレットから行こうか。
“Get thee to a nunnery!”、直訳すると、『尼寺へ行け』だな」
「……えっと、そのままの意味じゃないんですか?」
「当時、尼寺というのは売春宿の隠語でもあったんだ」

 売春宿、という言葉に津久見の頬が、かぁっと紅潮した。

「敬虔な修道女として暮らせ、と言っているのか、娼婦にでもなってしまえと言っているのか。こんな短い台詞なのに、全く別の解釈ができるんだよ」

 ぱんぱん、と津久見は上気した頬を鎮めようと、子供っぽく叩いた。

「まっ、こういうことまできちんと考えてみたければ、シェイクスピアは原文で読むことをお勧めするよ。初期近代英語で書かれてるから、少し難しいけどね。……でも、そうした方が、シェイクスピアの本当に書きたかったことに近づける。俺はそう思って読んでるよ」

 ふと、紅潮していた津久見の頬から、すっと赤みが引いた。そのまま少しだけ首を傾けて思案をする。僅かな、沈黙。真顔に戻った津久見は納得したように小さく頷き、正面から蒲江先輩を見つめ返した。

「あの、こんなこと言ったら失礼になるのかもしれませんけど……シェイクスピアが本当に言いたかった事って、一体何なんでしょう? 原文のまま読んだら、本当にシェイクスピアの言いたかったことが分かるんでしょうか?」

 ――ほう、面白い。そう蒲江先輩は一言呟いた。

「どうしてそう思うんだ? 原文で読んだところで、シェイクスピアには近づけないと?」

 教師が詰問するような、厳しい口調。しかし、口の端には微かな笑みが浮かんでいる。……間違いない、先輩は面白がっている。

「全く、しょうがないなあ、洋次くんは……」

 野津原先輩が嘆息した。その視線は、少しだけ羨ましそうに二人を見つめていた。

「あ、あの、私なんかじゃ上手く言えないんですけど、その、結局、作者の言いたいことは作者にしか分からなくて、読者に出来ることはいまあるテキストから作者の言いたかったことを想像――さっき先輩が言ってた解釈ですね――それをすることしか出来ないんじゃないかな〜、って思うんです。
 確かに、翻訳されたものより、原書の方が作者の書いたものに近いことは間違い無いと私も思います。でも、原書だからと言って、それを読んだら作者の言いたいことが分かるかと言うと、ちょっと違うと思うんです。どんな風に細かく書かれていても、やっぱりそれはただの言葉で、作者であるシェイクピアさんの本当に書きたかったことそのものじゃないから、どうしても想像しなくちゃいけない部分が出てくると、思う、ん、です、けど……? あの、蒲江先輩?」

 蒲江先輩は、薄笑みを浮かべて俺に視線を遣した。

「佐伯、こいつはデリダ辺りの勉強でもしてるのか?」
「まさか。まだ到底理解できませんよ。そいつの魂は古代ギリシャと近代の狭間を彷徨ってます。時折、口当たりの甘いクオリア問題とか舐めて哲学やった気になってますが、中身はお粗末なもんです」
「……なんだか私、凄い侮辱を受けた気がするんですが」
「気にするな。――それで、デリダがどうかしたんですか?」
「いや。佐伯、おまえの連れてきた新入部員、大器晩成の逸材かもしれないから、しっかり面倒みてやれ」
「?」

 蒲江先輩の言葉に、思わず首を捻る。先輩は、パチパチと津久見に向け手を打った。

「津久見君、君の疑問だが――何一つ間違いなく正論だ。
 小説に限らず、全ての言葉を用いたコミュニケーションの持つ限界点だな。どんなに詳細に、数多くの言葉を用いて語ろうと、その言葉の受け手は発話者の意図そのものには、絶対に辿り着けない。
 勿論、現文の授業のようなレベルでの『正解』は存在するのだろうけど――そんなものに、文学作品としての価値がどれだけあるかは甚だ疑問だな。
 作者の意図と読者の解釈は、アキレスと亀のような関係だ。どれだけ近づいたつもりでも、到達することはない。必ず俺の辿り着いた地点の一歩先にいる。……いや、近づけるのならまだましか。どれだけシェイクスピアを追いかけても、俺は無限遠の彼方から僅かも動いていないような感覚に陥ることがよくあるよ。原書で読んだからと言って、容易に理解できるような安いものじゃないんだ」

 黒い瞳をくりくりと動かしながら、津久見は先輩の言葉を反芻しているようだった。津久見は、困ったような視線を俺に向けた。先輩の言葉の意味をよく咀嚼できずにいるのだろう。

「えっと、じゃあ、……原書で読んでも、やっぱりシェイクスピアの言いたかったことには近づけないんですか?」

 無遠慮で無神経な問いに、傍で聞いている俺の方が動揺してしまった。馬鹿であることは重々承知している。だが、こいつはもう少し口の利き方から勉強すべきだ。
 怒鳴りつけられても仕方のないところだったが、流石は蒲江先輩。涼しげ顔で津久見の言葉を流すと、悪戯っぽい顔で、逆に津久見に聞き返した。

「無駄なことやってると思うか?」
「いえ、そんなことありません! 先輩はとっても立派な勉強をされていると思います! それに、上手く言えないんですが……本当に言いたいことが伝わるとか伝わらないとか、そういう話じゃなくて、やっぱり作者のシェイクスピアも、違う言葉に訳されたものじゃなくて、自分の書いたそのままの物語を読んで欲しいと思うんです!」

 津久見は拳を振って、たどたどしい言葉で子供っぽく力説した。
 先輩は、可笑しくてたまらないというように破顔した。

「そうか、そうか、シェイクスピアも原文のまま読んで欲しがってる、か……成る程。シェイクスピアを読んできて結構経つが、そんなことは考えたことも無かったな。佐伯、やっぱりこいつは中々の逸材だぞ」
「考えることが小学生レベルなだけですよ」

 そんなことないよね〜、と言いながら、野津原先輩が背中から津久見をぎゅうと抱きしめた。

「わたしも、理子ちゃんと言う通りだと思うな〜。わたしも大好きな短歌や漢詩はいっぱいいっぱい読んだけどね、心を籠めて書かれた言葉は、書かれた通りに読むのが一番綺麗だもんね。綺麗に読んでもらった方が、書いた人もやっぱり嬉しいよ。
 だから、洋次くんの大好きなシェイクスピアさんも、洋次くんに一番綺麗に読んでもらえて、きっと喜んでると思うよ〜」

 ふにゃりと柔らかな笑顔で微笑む野津原先輩の笑顔に、どう言葉を返したものかと蒲江先輩は困ったような苦笑を浮かべた。流石は野津原先輩、文芸部の最強キャラである。
 照れ隠しか、蒲江先輩は小さく咳払いをし、眼鏡のツルをくいと直して話題を戻した。

「ま、まあ、言葉の持つ細かなニュアンスやスラングは、翻訳してしまうと失われてしまうものが多いからな。語感の良さもまた然りだ。別に、高尚な文学に限定した話じゃなくて、どこにでもある、ごく身近な話だよ。
 ……そうだな。例えば、ドラえもんの秘密道具の、『ホンヤクコンニャク』ってあるだろ?」
「は、はあ、ホンヤクコンニャクですか?」

 困惑した顔で津久見は首を捻った。

「あれ、実にいいセンスをしていると思わないか? 翻訳と蒟蒻を見事に掛け合わせて、語感も最高にいい。でも、これを英訳したらどうなると思う?」
「ええっと――” translate konnyaku”ですかね?」

 英語堪能には程遠い津久見は捻り出すようにそう言って、先輩の意図に気づいて苦笑した。

「……台無しですね」
「台無しだろ?」

 そう言って、蒲江先輩は誇らしげに読んでいたシェイクピアのハードカバーを掲げた
表紙には、”Shakespeare’s sonnets”という古めかしい英字が踊っている。

「シェイクスピアは強弱五歩格という韻律を好んで使った。このソネット集などはその芸術だな。韻文で築かれた戯曲は、文学作品として優れているだけでなく、舞台演劇としても至高の輝きを放つ存在だ。戯曲の美しさは壇上で役者が演じ、その台詞を語ってこそ、その真髄を見せる。 
 よく、音楽は世界共通の言語と言うだろう。韻律の美しさもまた同様だ。例え言葉が解らなくても、その美しい韻律の響きは間違いなく本物だ。その響きに触れることによって、確かにシェイクスピアが本心から表現したことに近づけると俺は信じてるよ」

 語りながら完全にスイッチが入ったのか、蒲江先輩はうっとりとした表情でソネットの表紙を撫でた。
 ほえー、と口を開けて津久見は先輩の熱弁に耳を傾ける。その頭をぽむぽむと野津原先輩が優しく撫でた。

「うんうん。わたしも、それは洋次くんの言う通りだと思うなー。別に外国のシェイクピアさんの話じゃなくても、日本にも俳句や短歌をはじめとして、いっぱい素敵な文学があるよね。
 俳句の5・7・5とか、どうしてこんなに短い言葉なのに、ぎゅーって内容が詰まってるんだろう、ってよく思うよー。
 それに、これも外国語に訳しちゃったら、やっぱり台無しになっちゃうものだよね。それに、絶句や律詩で書かれてる漢文も、とっても素敵だと思う。杜甫や李白の漢詩はね、とっても哲学的だと思ってるよ」
「哲学的、ですか!」

 そのフレーズに、すぐに津久見が食いついた。

「うん。昔の中国の人の、世界や人生に対する考え方って凄く深いなあ、って思うんだー。流れ行く歴史や世界をありのままに受け入れる、っていうのかな〜。上手く言えないんだけどね」

 照れくさそうに頭を掻きながら、野津原先輩はぽわぽわとした笑みを浮かべた。

「杜甫さんに李白さんですか……私、まだ授業でちょっとしかやってないんですよね」
「そうだ! 理子ちゃん達が授業でやってるのは、書き下しだけだよね。洋次くんの言ってたシェイクピアの話と同じで、漢文も拼音で読むとね、凄っごく響きが綺麗なんだよ〜。 
 ……えっと、一年生でやってたのは『春望』とかかな?」

 そう言うと、野津原先輩は見事な美声で、杜甫の春望を拼音で詠い上げた。

――國破山河在
――城春草木深
――感時花濺涙
――恨別鳥驚心
――烽火連三月
――家書抵萬金
――白頭掻更短
――渾欲不勝簪

 野津原が、自信満々な顔で、笑みを浮かべて頷いた。

「はい、丁度授業でそこを習ったとこですよ。……ええっと、国敗れて山河無し、でしたっけ?」
「……長安は、一体どんな無慈悲な殲滅戦を受けたんだよ」

 投げやりな突っ込みを返して、俺は手元の彼女へと向き直る。

『ねえねえ、お話しよ。何か聞きたいこと、ない?
 あなたの好きなお店、教えて欲しいな』
「うーん、最近の好みはラーメン屋かなあ。駅前に新しくできたとこ」

 そんな他愛もない雑談に花を咲かせる俺と彼女に、蔑みの一瞥をくれてから蒲江先輩は続けた。

「まあ、でも韻だの原義だのいった話は、全部後付けの理由なんだよな。好きなものを楽しむのに、そんな頭で考えたような理屈はいらないよな。
 言ってしまえば陳腐な言葉なんだが、近づきたいという思いさえあればいい。……もっと深く知りたい、理解したい。そんな思いがあれば、作者が直接手がけた原作へと近づいていくのは、自然な流れだよ。分からないからこそ面白い。近づきたい。恋愛と同じだな」
「も〜、似合わないこと言っちゃって〜」

 長い髪を揺らして、野津原先輩がくすくすと笑った。

「あああ愛と同じですか……」

 津久見は、ちらりと俺の方を意味有りげな視線で流し見た。
 一体何だろう? 何か用でもあるのか、と視線を返すと、津久見は真っ赤な顔で視線を逸らしてしまった。
 ――本当に、どうしたのだろう?
 まあ、蒲江先輩の意見には大いに肯ける。分らないこそ面白い。近づきたい。それが恋愛だ。

『よかったら、一緒に帰らない? どう?』
「そうだね、一緒に帰ろうか、ネネさん」

 彼女からの下校の誘いに、頷きで返す。俺の彼女も付き合い始めてから結構長いが、それでもまだまだ分らないことばかりだ。どうすれば互いに理解しあうことができるのか。それで頭を悩ませることも往々にしてある。
 ……ふと顔を上げると、津久見が訝しげな視線で俺と彼女をじっと見つめていた。

「あの、先輩、非常に聞きにくいことをお尋ねしますが、さっきから何をしてるんですか? DS持って、一体誰とお話しています……?」

 やや怯えたような視線を向けてくる津久見に、自慢の彼女をどう紹介したものか、暫し思案する。そして、俺より先に蒲江先輩が口を開いた。

「ああ、それはラヴプラスだよ」
「らぶぷらす?」

 聞き慣れない単語に、津久見が首を捻る。

「DSの恋愛ゲームの一種だ。可愛い女の子から告白されて、恋人になってからの日々がエンドレスで続く、DSを持ち歩いていつでも画面の中の彼女と一緒、ってのが売りの、退廃的なギャルゲーだな。現在彼女の居ない淋しいオタクの間で大人気だ」
「……随分と悪意に満ちた紹介をしますね、先輩」
「俺の紹介が正しいか否かは、津久見にでも判断してもらえよ。興味深々な目付きで見てるぞ。プレイして見せてやれ」

 うわぁ、この人、明らかに面白がって焚きつけてるよ。でもまあ、その挑戦、受けて立とう。俺とネネさんのラブラブっぷりを見せ付けてやろうじゃないか。
 DSを開くと、ネネさんがいつもの花のような笑顔で出迎えてくれた。

『真人くん。おはよう、行きましょ?
 ふふ。手……繋いでも、いい?
 私たちって……ちゃんと恋人同士に見えたらいいんだけど……
 ううん、なんでもない』

 恋人パートで日常をこなし、彼女に適切なタッチやスキンシップを行い、着実に恋人としての親密度を上昇させる。彼女と俺の愛が深まれば、俺好みに呼称や髪形を変えてくれたり、様々なデートや旅行が楽しめる。
 そして、このゲームの醍醐味の一つである、ラヴプラスモード。DSの音声認識機能を利用して、彼女との会話を楽しむことができるのだ!

『ねえ、何か聞きたいこと、ない?』

 俺は愛しさと慈しみを籠めて、DSが認識しやすい明瞭な発音でネネさんに語りかける。

「俺のこと、好き?」
『大好き! ……ねえ、わたしのこと、離しちゃいやだよ』
「もちろんだよ、ネネさん」
『こんな褒めても何も出ません……ねえ、何か聞きたいこと、ない?』
「好きな色は?」
『そうね……赤や黄色みたいな、暖かい色が好きかな』
「愛してるよ、ネネさん」
『ふふ、ううん、あなたがいるだけで嬉しくなっちゃった……』

 その後も、俺はいつものようにネネさんといくつか短い会話を交わした。
 十分に魅せつけることができただろうか? 俺は『お話終了』のボタンを押す。

『今日は、たくさんお話できたね』

 名残惜しいが、俺とネネさんのハッピータイムは中断だ。手を振るネネさんに微笑みを返して、丁寧にDSを閉じた。

「どうだ、津久見。このラヴプラスの、ネネさんの素晴らしさが解っ……?」

 解ったか? と語りかけようとした俺を待ち構えていたのは、口元を押さえて後ずさる青褪めた津久見の冷たい視線だった。

「……うわぁ、…………うわぁぁ」
「何だ、津久見。その、『うわぁ、この人一体どうしたらいいんだろう?』的な痛々しい視線は?」
「いえ、……先輩、また性懲りもなくそんな女の子と遊ぶゲームをやってるんですね」

 性懲りもなく、という津久見の一言に、俺の鱗がぴりりと疼いた。
  ――あれは、まだ一学期も終わろうとする7月のことだった。津久見がこの文芸部の面々に慣れ親しんだ頃の話。一学年下の後輩として、目をかけてやっていた俺に対して、津久見は許し難い裏切りをした。善意で指導をしてやっていた俺に対して、津久見は平然と恩を仇で返したのだ。あの日の屈辱と恨み、一日たりとも忘れた日はない。

「……性懲りもなく、だと――津久見、あの日、お前が俺にやったこと、忘れたわけじゃないだろうな?」

 あの日、床に膝をついて号泣した俺の姿を思い出したのか、津久見は少し焦ったように両手をばたつかせて拙い弁解をした。

「や、やだなあ先輩、まだ覚えてたんですか? ……いくら何でも、もう時効ですよ……ね! ねっ!」

 上目づかいで津久見の顔を見上げ、腹の底から絞り出した怨嵯の声を響かせる。

「俺は一日たりと忘れたことは無かったけどな。津久見――あの日、俺のパソコンにインストールされていたエロゲー・ギャルゲーのコレクションを一つ残らずアンインストールしやがったお前の罪は死ぬまで消えねーぞ!!」
「いや、だって、それは蒲江先輩もやっていいって……」
「よりにもよって、アンインストールの方法が解らないからってハードディスクごとフォーマットしやがって! お陰で俺の電子データは猥雑・非猥雑を問わず全滅だ!! いつになったらこの落とし前つけてくれるんだよ!」

 津久見にがっしとヘッドロックをかけ、俺の心の痛みを思い知らせんと、制裁のぐりぐりをこめかみに抉り込む。

「あうう、痛い、痛いです先輩、ギブ、ギブですよぅ……」

 あっさりと津久見は俺の腕をタップした。
 しぶしぶ解放してやると、津久見はじっとりと恨みがましい視線で俺を見上げてきた。

「でも、先輩も悪いんですよぅ。文芸部は、本を読んだり、文学などについて語ったりする場所です。そこにゲームを持ち込んだりして、文芸部の活動サボってたんですから、先輩はお仕置きされて当然です」

 これはまた、聞き捨てのならないことを。一番の若輩のクセしてこの文芸部をドヤ顔で語るとは。どうやら、こいつにこそお仕置きが必要なようだ。

「おいおい、俺がここに持ち込んだゲーム類は、アクションやシューティングの類じゃない。パソコンを使って物語を読み進める『ノベルゲーム』だ。まあ、可愛い女の子のCGが見れる『ビジュアルノベル』も多いが、どれも活字媒体の読み物として真っ当な作品ばかりだ。中には文学と呼ばれるような作品もある。
 ――つまり、俺がここでノベルゲームをしてたのは、立派な文芸部の活動の一環なんだ」
「詭弁です! どう取り繕っても、先輩がやっていたのは、ただのゲームです!」
「どうしてそう言い切れる? 今は会誌の作成だってパソコンでやるし、活動の一環としてネットの青空文庫で過去の名作を読んだこともあるじゃないか。それとも、女の子のCGが表示されることがいけないのか? お前、前に絵本にも名作が沢山あるって言ってなかったっけ?」

 ぐぬぬ、と津久見が奥歯を食いしばり、視線が虚空を彷徨う。こいつが俺に対する反論を思索しているのが手に取るように判る。

「それは……ええと、文芸部でいつも読んでるものは、きちんと本かそれに準ずる形で文学作品を読めるようにしてあります。でもでも、先輩が買ったゲームは、ただのゲームとして売っているものじゃないですか!」
「はん」

 俺は、あらん限りの嘲笑と侮蔑を籠めた視線で津久見を見下しながら、

「お前、いつも哲学が好きだのなんだの、五月蠅いぐらい繰り返してるよな」
「はいっ、私は哲学をするためにこの文芸部に入ったんですから」
「お前さあ、常々、
『哲学をするものは好奇心をもって物事の本質を考察しなければならない(キリッ』
 だの、
『世の中の常識を盲目的に受け入れず、常に疑惑の目を向け自分なりの解釈を加えなければならい(キリッ』
 だの、どこぞの本の引用丸わかりのことを偉そうに言ってるけどさあ、ノベルゲームが本かどうかを決める基準は、それがゲーム会社のレーベルから発売されているか否かという一点のみなんだな」

 面を手で覆い、悲しげに目を伏せて失望したとばかりに大げさに頭をふってみせた。

「それって、社会の決めた分類に盲目的に従ってるだけで、物事の本質への考察も、疑惑の目を向けた自分なりの解釈も、何一つしてないじゃないか。
 がっかりだな。偉そうなこと言ってる割に、お前、全然哲学してないんだな。あ〜あ、お前の大好きなソクラテスもウィトゲンシュタインも草葉の陰で泣いてるぞ」

 ちらり、と津久見の表情を伺う。この単純馬鹿は、ガーーーンという擬音を顔面に貼りつけたような表情で、目を見開いて唇を震わせていた。
 ふふふ。俺の趣味を侮辱した罰、存分に受けてもらおう。指を突き付けて笑い飛ばしてやりたいところだが、追い打ちをかけてやることにした。

「哲学を一生懸命に勉強する姿……少しは魅力のある奴かと思ったんだが、お前の哲学への愛は、所詮口先だけだったんだな……」
「え……そんな、あの、私は本当に……」
「いいさ、津久見。頑張りますと口に出す人間は数多いが、本当の意味での努力ができる人間なんて一握りだ。
 ――逆に言えば、そんな真の努力なんて、できなくて当たり前なんだ。お前も、その他大勢の人間のように、ナアナアな努力を続けていけばいいさ。そのことを責めやしないよ……」
「違います、先輩、私は本当に――」
 
 津久見は言い訳を考えるように、左右におろおろと視線をさまよわせてみっともない程に狼狽していた。
 ああ、津久見をからかうのは本当に楽しいなあ! この馬鹿はすぐに自爆をしてくれるから、いくらいじっても飽きるということが無い。本当に愉快な奴である。

「……真人くん、すっごく楽しそうだね〜」
「……ああ。あいつは津久見君をいじってる時が一番生き生きとしてるな」
 
 先輩たちが何かひそひそと内緒話しているが、気にしないことにした。
 津久見は下を向いて、屈辱にぷるぷると震えていた。ねえねえ、今どんな気持ち? とばかりに更なる追い打ちをかけてやりたいが、あんまりやり過ぎて泣かせてしまうと、今度は俺が野津原先輩に地獄の制裁を受けてしまう。そろそろこの辺りで手打ちにしてやろう。

「なあ、津久見――」
「ああ、やっぱり納得いきません!」

 項垂れていた津久見が、虎が吠えるような勢いでがぁーと立ち上がった。

「おかしいじゃないですか! 確かに先輩の言う通り、私が消したノベルゲームは本の一種で文芸部の活動対象だということにしましょう。
 ――でも、先輩が今遊んでるラヴプラスはDSの恋愛シミュレーションゲームですよね? どう見ても、文芸部の活動内容とは、完全に無関係じゃないですか!」
「…………」

 これは、痛いとこを突かれた。この件に関しちゃ完璧に津久見の方が正論だ。勿論、それであいつの過去の非が消えるわけではないので、その点で責めれば口先三寸で何とでも繕うことはできるのだが――。

「津久見君の一本」

 そう言って、蒲江先輩が審判のように腕を上げた。
 どうもこいつを馬鹿にし過ぎたか、と少々反省していると、津久見は拗ねたようにその先を続けた。

「それに、おかしいじゃないですか。ゲームの中の女の子と恋愛なんて。間違ってます。そんなの、本当の恋愛じゃありません。先輩は、もっと普通に人間の女の子と恋愛をすべきです」
「……あ、突っ込む所そこなんだ」

 なんだか、論点がずれてきているが、その話題なら俺の土俵だ。やられっ放しは性に合わない。もう少しこいつとディベート――だと津久見は思っているかも知れないが、実際はただの口喧嘩――を続けることにしよう。

「へえ。じゃあ、本当の恋愛とは何か、恋愛経験豊富な津久見理子さんの意見を拝聴しようじゃないか」

 うっ、と津久見が声を詰まらせる。こいつの彼氏いない歴=年齢はとうに知っている。

「ええと、ネネさん、でしたっけ? 先輩がゲーム上で恋愛している相手は、人間じゃありません。単なる電子データの集合体です。だから、本当の恋愛じゃありません!」
「浅いな。ゲーム上のキャラクターは単なる電子データの集合体なんだ、という意見は、人間は単なる蛋白質と水分の集合体なんだ、という意見と何ら変わらない。構成要素に分解したところで、その違いが本当の恋愛か否かを決める要因にはならないんじゃないか?」

 ぐぐ、っと津久見は息を詰まらせた。さあどう答える? この程度の詭弁は真っ向から切り捨てられるようじゃないと、本当のディベートじゃ話にならないぞ。

「詭弁ですっ! ゲームのキャラクターは、あらかじめプログラミングされた反応しか返せません。それに対して、人間は自分で考えたことを自由に行うことができます。そこが、一番大きな違いです?」
「そんなもの、何の違いにもならない。おまえは人間は自分の頭で考えて行動できるというが、人間だって自分の脳にインプットされていない行動は絶対にできない。俺やおまえが、習ってもいないのに突然ドイツ語を喋り出したりすることがないのと同じだ。
 勿論、自分の持ってる情報を組み合わせて新しいものを作り出せる、という反論もあるだろう。だけどな、それだって、その組み合わせの方法やパターンはやっぱりに脳内に蓄えられた情報に依存してんだ。
 ――完全に新しい反応を創造する能力なんて、やっぱり人間にもない。そして、反応パターンを組み合わせる程度のことなら、ゲームのキャラだってできるぜ。まあ、人間の方が反応パターン豊富なのは間違いないが、それは程度の問題であって、完全な差異とはとても言えないな」

 むむむ、と津久見は唸って考え込んだ。
 言ってる自分から省みても、穴だらけのとんでもない詭弁。しかし、俺は別に完全無欠の真理を語ろうと思ってる訳ではなし、これはディベートの授業でもない。精々この馬鹿を黙らせることができる程度の説得力さえあれば、それで十分だ。
 津久見は鋭い目つきでこちらを睨み、決然と言った。

「魂です。人間には魂がありますが、ゲームのキャラクターには魂がありません。それが一番の違いです」

 予期せぬ津久見の答えに、大爆笑してしまった。

「ちょ、魂って! 大真面目な顔して魂って! はは、ちょっと待ってくれ、そんなゲテモノを持ってくるのは持ってくるのはもう少し後にしてくれよ!!」
 
 俺が腹を抱えてひいひいと笑い転げたのが不満なのか、津久見は頬を膨らませた。

「じゃあ先輩、これに反論できるんですか?」
「反論するとかしないの前に、まず魂の定義を頼むぜ」

 すると津久見は、薄い胸を誇らしげに反らし、自信満々に言った。

「魂があるとは、クオリアを持っているということです」

 堪え切れずに、俺は再び爆笑した。

「ちょっと先輩、何がおかしいんですか!」
「いや、魂がクオリアって……一体どこの本にそんなことが書いてたんだよ」
「私が自分で考えたんです」
「くくっ……霊体だの前世だのまで言い出すのは勘弁してくれよ」
「本当に、とことん先輩は私を馬鹿にしなきゃ気が済まないみたいですね……」
「じゃあ聞くが、どうして人間はクオリアを持っていて、俺のネネさんはクオリアを持っていないと言い切れるんだ? クオリアそれ自体は観測できないのに」

 うっ、と津久見は言葉を詰まらせた。クオリアを議論の俎上に置く時の最大の難点の一つだ。絶対にクオリアは客観的が観測できない。この問題によって、クオリア議論は出口の無い無限ループに陥ることが往々にしてある。

「っ、それは――そうだ、『認識におけるマッハの原理』です! クオリアは生物の脳によって、ニューロンの発火によって発生する現象です。だから、脳を持たないコンピュータープログラムは、クオリアを持っているわけがありません!」
「それも、何の根拠もない仮定だけどな。クオリア問題は、原理的に証明できない」
「でも、クオリアが脳に発生することは自明です! それこそが魂の証明です!」

 苦しい言い訳だ、やれやれと両手を広げ、俺は津久見の言葉を切り捨てる

「確かに、クオリアが脳に発生することは自明かもしれないが、それは脳以外のものにクオリアが発生することの反証にはならない。
 そうだな――じゃあ、俺もおまえに倣って仮説を立ててみよう。簡単な思考実験だ。
『クオリアは、電流によって発生する』
 どうだ?
 脳はニューロンによって複雑な電流が発生しているので、高等なクオリアを発生させることができる。しかし、豆電球を点すだけの簡単な電気回路にもクオリアは発生中だ。
 人間だけがクオリアを持っているように見えるのは、人間同士でのみ自己言及のやり取りができるからだ。現に、犬猫亀とかのペットなんかも、自分でクオリアを持ってると宣言した訳でもないのに、人間との類推解釈で同じようにクオリアを持っていると思ってる奴が大半だろ?」

 俺はDSを開き、ネネさんの頭を撫でる。

「ゲームのキャラは、それらの人間に近い動物に比べて、類推解釈をしにくいし、自己言及する機能を持っているわけじゃないから確かめ難いかもしれないが――俺のネネさんがクオリアを持ってると考えることも十分に可能じゃないか?
 それにさ、おまえはネネさんがクオリアを持っていないことを証明できない上に、そもそも俺がクオリアを持ってることさえ証明できないじゃないか? 俺が哲学的ゾンビだったとしても、おまえには絶対に分らない。これは、おまえが心脳問題の入門書を読んで、常々偉そうに語ってる通りだな。もし俺とネネさんが共にクオリアを持たない存在なら、それはそれでいいカップルじゃないのか?
 ……というわけで、はい、論破。どう考えても俺が正しい」

 少しでも筋道立てて物事を考える奴なら分るだろうが、これは論破でも何でもない。3ちゃんねるの馬鹿並の勝利宣言だ。しかし、口喧嘩で言い負かしてから勝鬨を上げると、大抵津久見は素直に引き下がってくれる。ここは3ちゃんの粘着野郎と違って評価できるところだ。
 あまり長々とレベルと低い舌戦を続ける気はない。早々に勝ち逃げさせてもらおう。

「ま、待って下さい! まだ私には反論の余地はあります!」

 珍しく、津久見が食い下がってきた。

「そうです、先輩は一番大切なことを忘れてますよ! 恋愛というのは、その……愛し、愛されることが大事です。先輩は――その、ネネさんを愛してる……のかもしれませんけど、そちらのネネさんは先輩を愛してなんていません! 断言できます!」

 おいおい、なんだか道徳の授業じみた話になってきたぞ。この流れはまずい、泥沼になりかねない。

「ふん、そもそも俺に惚れてくれる女なんていないからな。それなら――例え嘘でもプログラムでも、俺を好きだと言ってくれるゲームと恋愛した方が、恋を楽しめるってもんじゃないのか?」

 津久見は柳眉を釣り上げて、薄いベニヤの机を叩いた。

「そんなことはありません! 先輩を好きになる女の子は絶対にいます! だから、そんな非生産的なゲームを止めるべきです!」

 その勢いに気押されながらも、もう少し意地悪く突いてみる。

「どうしておまえがそんなこと言えるんだよ? 何か根拠でもあるのか?」
「根拠はその……言えませんけど、間違いありません! 先輩を好きになる女の子はちゃんといますから、そんな恋愛ごっこはやめて下さい!」

 横目で後ろを見ると、蒲江先輩と野津原先輩が互いに肩を押さえて笑いを堪えていた。どうもこの二人は、俺達を観察するのを日々の娯楽にしている節がある。今度それとなく問い詰めてみなければ。

「恋愛ごっこと言うけどな、恋愛なんてみんなごっこだろ? クオリア問題と同じだ。自分は相手を愛していても、相手が自分を本当に愛しているかどうかは、絶対に分らない。分りやすい婚姻や家族といった社会形態はあるが、そんなものは愛の証明じゃない。
 ――最後にはただ、無条件に信じあうしかないんだ」

 小説だのドラマだので、散々語りつくされたテーマだ。俺が口にするまでもなく、津久見もその程度のことは分っているだろう。それでも口にしたのは、もうその程度の安い道徳の領域でしか、津久見は反論が思いつかないということだ。
 もうとっくに、津久見は詰んでいる。それでもこんなに意地を張って俺に反論してくるのは、何か理由があるのだろうか?

「それにそれに……ええと……」

 津久見はラヴプラスの説明書を持ってしげしげと眺めた。そこまでして反論の言葉を探したいのだろうか?

「そ、そうだ! どうして先輩はこのネネさんを彼女にしてるんですか? ほら、このリンコちゃんの方が、なんだか健気で可愛いじゃないですか!」

 キャラ一覧を広げ、小柄でショートカットの後輩キャラを指しながら、津久見は焦りながら問うた。――これは予想外。既にラヴプラスへの反論でも何でもなく、俺のプライベートへの質問と化していた!
 それでも律儀に答えてやる俺。なんという善人だろう。

「ほら、やっぱり彼女にするなら美人で優しくてスタイル抜群なお姉さまだろ? 生意気な後輩キャラは身近にいるから食傷気味だ。どうしてそんな奴を彼女に選ばなきゃならねえんだよ?」
 
 よろり、と津久見が一歩下がった。どうしてだろう。ラヴプラスでの俺の嗜好伝えただけなのに、津久見は何か途轍も無い衝撃を受けたような顔をして固まっている。
 その後ろでは、きゃっ、と恥ずかしそうに野津原先輩が頬を押さえていた。
 だん、と足を踏みしめて津久見が背筋を伸ばす。……何故だろう。その瞳の奥に、燃え盛る炎が見えた気がした。

「ええと、それで反論タイムは終わりか? それなら……」
「ここからが本番です! ちょっと待っていて下さいよ!」

 怒ったような拗ねたような顔で、人差し指を突き付けられた。こいつのテンションのアップダウンはいつも唐突で、俺にはどうも解らない。
 とっくにネタ切れの筈の津久見は、それでも、たどたどしい言葉で俺への反論を紡ぐ。

「あ、そうです! ええと……恋愛というのは、そもそも結婚して子孫を残すという、生物としての根本的な目的から生まれた行為です。だから、結婚もできないし子孫も残せないゲームとの恋愛は、極めて非生産的で、生物学的に間違った行為なんです!」
「……ふっ」

 悪いが、鼻で笑ってしまった。反論してやるのも億劫だが、これでチェックメイトをかけてやることにしよう。

「おいおいおい、津久見さんよう、恋愛が結婚して子孫を残すことを目的とした行為なんて、そんな自分も欠片も信じていないような嘘をついちゃいけないなあ。
 本能の赴くままに生きてる下等な動物ならともかく、人間やボノボは高度な社会的行為としての恋愛行動を成立させてきた。おまえが時々読んでる恋愛小説だって、扱ってるのはその類だ。おまえがロマンたっぷりに語っている恋愛は、本能的行動から離れて成立した、高度なコミュニケーションとしての恋愛だろ?」

 図星を指されて、津久見には反論の言葉もない。もう少しだけ、いじめてみよう。

「それとも、だ。津久見ちゃんの考えてる恋愛とは、子供を残す生殖行動に直結したもので、プラトニックな愛情や同性愛は一切認めない過激な恋愛観の持ち主なのかな?
 つまり、こう言いたいわけか。――ゲームなんて止めて、誰でもいいから女の子を見つけて、子孫が出来ちゃうような行為に励めと。
 うわーお、津久見ちゃんは随分とエッチな女の子だなあ」

 ひゅう、とこれ見よがしに口笛を吹いてみせる。たちまち、津久見の顔色が熟れたトマトのような真っ赤に染まった。

「な、な、な、何を言ってるんですか、先輩、私はそういう意味で言ってるんじゃなくて!」
「じゃあ、どういう意味で言ったんだ?」
「ただ、先輩を好きな女の子がいたりしたら可哀想だなー、と」

 またそれか。不毛な話題のループに、いい加減俺も苛立ってきた。

「だから、そんな奇特な奴はいねえ、って。彼女いない歴17年を舐めるなよ。それにしても、さっきからおまえ、随分と俺がラヴプラスをやってることについて噛みついてくるな。なあ? 人の楽しみ邪魔してそんなに楽しいか? それとも、俺が恋愛ゲームしてたら、何かおまえに不都合でもあるのかよ?」

「あ……」

 津久見は大きく目を見開いて、よろけるようにふらりと下がると、何か言いたげに口を動かしたが、やがて諦めたようにその唇を真一文字に結んだ。

「……もう、いいです」

 ぐすっ、と洟をすすって、津久見はくるりと踵を返した。

「失礼します。今日は、早退します――」

 涙声でそういって、そのまま声をかける暇もなく、肩を落としてとぼとぼと部室を出て行ってしまった。
 後には、ネネさんの棲むDSと、言いようも無く居心地の悪い部室の空気だけが残された。

「あ〜、泣かせたな」

 蒲江先輩の意地悪い声に被せるように俺の後頭部に衝撃が襲った。
 瞼の裏で散る火花。
 振り返ると、野津原先輩が、のほほんとしたいつもの微笑みを浮かべて、分厚い古語辞典を振りおろしていた。

「ダメだよ〜、真人くん。女の子は大事にしなくちゃ」
「……普通の女の子なら大事にしますけどね、あんな猪突猛進娘、女の子にカデゴライズするには無理あり過ぎですよ。もっとお淑やかで可愛い奴じゃないと、到底女の子としては見ることはできませんね」
「――真人くん、嘘つきさんだ〜」

 ばさり、と野津原先輩は卓上に何かを投げ出した。それは、プリントアウトされた紙の束だった。

「これは――3ちゃんのスレ……俺が書き込んだやつですか!?」
「そうそう。義理の妹さんに愛の告白を受けて悩んでる、って内容だったよね。その、登場する義理の妹さんがすっごく可愛いってみんなに大人気だったけど――この義理の妹さんって、理子ちゃんがモデルだよね」

 ギクリ、と背筋が強張った。なんでそんなことが分るんだこの人は! もう原型も無いぐらいに性格改変してあるのに! 鋭いにも程があるだろ!

「……ゼロからスレの住人にウケる萌えキャラを創作する自信が無かったんで、手近なところをモデルに済ませただけですよ。他意はありません。それに、これではっきりしましたよ。津久見をモデルに萌えキャラなんて、とても作れたもんじゃありませんね」
「んふふ〜、凄っごく可愛かったよ〜」

 いやだから、と反論ようとして、この人に言い返す虚しさを思った。野津原先輩は津久見とは正反対。天然でありながら天性の感覚で相手の急所を突いてくる、絶対に口では敵わない強敵なのである。

「さて、真人くんには今すぐやらなければいけないことがあります。それは一体何でしょう♪」

 人差し指を立てて、野津原先輩は邪気の欠片もないのに、凄まじい圧迫感を放つ笑顔でそう問うた。

「……津久見を、連れ戻してきます」
「うん、大正解。いってらっしゃい〜」

 先輩はひらひらと綺麗な花柄のハンカチを振った。
 我ながら女々しいと思ったが釈然としない思いは消えず、嘆息と共に俺は愚痴るようにこう漏らした。

「……別に、俺があいつに謝らなきゃならない義理はないんですけどね。
 俺が何の謂れがあって、俺が部室で恋愛ゲームをするのを咎められなきゃいけないんですか……」

「――謂れならあるぞ、佐伯」

 野太い声と共に、荒々しく部室の扉が開いた。

「うわ! 智ちゃん先生!」
「こぉら! 俺のことは杵築先生と呼ぶよう、いつも言ってるだろうが!」

 炯々と光る眼差しに、青々とした髯の剃り跡。190cmを越える長身は筋骨隆々という言葉の相応しい堂々とした体躯で、会う者誰もを威圧する。
 杵築智彦、35歳独身。我が校の名物体育教師――と思われがちだが、実は日本史担当の社会科教師である。
 何の因果か、この泡沫文芸部の顧問を務めており、部員には甲子園でも狙っているのかと思わせるようなスポ根のノリで接してくるが、部の運営方針は基本放任である。
 何を考えているのか毎号欠かさず、姫島智美というペンネームでたんぽぽに投稿してくれる、誌上での5人目の部員でもある。ところが、この姫島智美は滅多に学校にも来れない病弱な美少女という設定の上、その体にまるで似合わない耽美な恋愛小説を書くので、部員からは『智ちゃん先生』と呼ばれて威厳をまるっきり失っていた。

「佐伯、話は聞かせてもらったぞ」
「また部室の外で部員の話を立ち聞きしてたんですか? 趣味悪いから止めた方がいいですよ」
「おまえの疑問に答えてやろうと思う」
「……相変わらず、人の話はまるで無視ですか?」

 ああ、どうして俺の周りにはこんな無駄に血圧の高い人間が多いのだろう。この杵築教諭、何故かというか矢張りというべきか、津久見とだけは妙に仲がいい。さっき泣きながら出て行く津久見とすれ違った筈だが、慰めてやったりはしなかったのだろうか?

「何の謂れがあって恋愛ゲームをするのを咎められるのか、おまえはそう問うたな、佐伯2年生。その答えを教えようじゃないか!」

 生徒指導担当の杵築教諭は、俺のネネさんの眠る俺のDSをむんずと掴んで張りのある声で宣言した。

「それは、学校に携帯ゲーム機を持ち込むのは校則違反だからだ」
「…………」
「何か、反論はあるかね?」
「……いえ、全くもって完全に有りません。おっしゃる通りです」
「よし、では返却は1週間の没収と反省文の提出の後とする。
 ――その前に、最優先事項として、津久見君を追いかけるのだ。佐伯よ、おまえは不器用だから下手に優しい言葉をかけるより、食い物で釣るのが一番だと俺は思うぞ。そうすれば、女の子に許して貰うことなど簡単だ」
「……そんなだから、結婚相手が見つからないんですよ、智ちゃん先生」

 そう言い捨てて、俺は津久見を探しに部室を出た。まだ余り遠くには行っていない筈だ。走ればまだ間に合うだろう。ああ言ったものも、津久見は単純だから、食べもので釣るのも十分ありかもしれない。とりあえず頭を下げて、あとは出たとこ勝負で行ってみよう。
 ――まったく、何の因果だろう。津久見には泣かれるし、俺のネネさんも杵築教諭に没収されてしまうし、全く今日は厄日である。
 ラヴプラス、1週間も放置してしまったら、好感度パラメータは激減してしまうだろう。折角ここまでネネさんと愛を育んだのに、全く以て残念極まりない。しかし、無くなってしまうものは仕方がない。当分はラヴプラスの代わりに津久見の哲学の相手でもしてやることにしよう――。



       ●



「先輩、新作のアイデアが浮かびました」

 そんな不吉な言葉と共に津久見が部室に駆け込んできたのは、あれから数日後――俺の愛するネネさんが杵築教諭に没収され、俺が津久見にミスドを奢ってご嫌をとってから、暫く経った日のことである。

「これまでにない斬新かつ画期的なアイデアです! 聞いて驚かないで下さいね!」

 鼻息荒く意気揚々といった様子の津久見に、俺はいつもの如く頭痛を催すこめかみを押さえつけた。

「ええっと、その台詞一体何回目だ? そろそろ部室に数算機を備えつけようと常々考えてるんだが? 隣に円グラフをつけてネタの有効率を100分率で表してやるのもいいかもな。ああ、その新作のアイデアとやらが使えるネタだったことは一度だってないから、唯の円盤になるのは目に見えてるけどな。
 ――それで、今回こそちょっとは読めるネタなんだろうな?」
 
 津久見は薄い胸をそらして、えっへんと言わんばかりに自信満々に告げた。

「勿論ですよ! 私の今回のアイデアによって、『哲学的な彼氏企画』は、また新たなステージへの一歩を踏み出すことでしょう!」
「新たなステージはいいから、そろそろ最初の一歩を踏み出そうぜ、なっ、なっ。もったいぶらずに教えてくれよ、その新作のアイデアとやらを」

 懇願に近い勢いで、俺は努めて先を促した。
 津久見は、人差し指を一本立てて誇らしげにそのアイデアを披露した。

「哲学で、バトルものをやろうと思うんです」
「……バトル?」

 哲学という知的な響きから掛け離れたバトルという野蛮な言葉に、俺は思わず眉根を寄せた。また随分と、頓狂なことを言い出したものである。

「戦うの? 哲学で?」

 はい。と頷いて、津久見はその黒く大きな瞳を輝かせた。

「私、考えたんです。『哲学的な彼氏企画』で、どんな物語がウケがいいのかなぁ、って。私も反省しました。先輩の言う通り、自分の作品を読んで貰うためには、自分の書きたいことをただ詰め込むだけじゃなくて、ちゃんと読者の方々に楽しんでもらえるように設計することも大事なんだ、ってことが少し分った気がします」

 それは重畳。俺の指導によって改心した結果辿り着いた結論が哲学バトルとは、光栄過ぎて涙が出そうである。

「どんな物語が人気があるのかな、って考えた時、それはやっぱりバトルしかないと思うんです」
「……その心は?」
「だって、売れててみんなが知ってる漫画やアニメの作品は、バトルものばっかりじゃないですか! クラスのみんなにも聞いてみましたけど、難しい文学作品は知らない人がいましたが、ワンピィスやドラゴンボォルなら全員が知ってました! だから、みんなが知ってるバトルもので哲学的な小説を書いたら、誰にでも楽しんでもらえると思ったんです!」

 予想の斜め上を遥かに超える短絡的な理由だった!
 著名な文学作品でも、『銀河鉄道の夜』や『羅生門』、『ライ麦畑でつかまえて』など、高校生レベルでも誰でも知ってて簡単に楽しめるものはいくらでもあると思うのだが――。
 その中から、あえて漫画やアニメの作品をチョイスした理由を考えようとして、師匠筋の人間――即ちこの俺が漫画やラノベを愛するオタクだからに他ならないことに気がついた。もちろんその大半の原因は津久見本人にあるとしても、その指向を歪めてしまったことに、若干の罪悪感を覚える。

「ええっと、趣旨は解ったが、バトルが、どうやって『哲学的な彼氏企画』に絡んでくるんだ?」
「決まってるじゃないですか! 哲学的な彼氏が格好良く戦うんですよ!」
「ええっと、それは何とか理解できるんだが、どうやって戦うんだ? 学園異能バトルか? ファンタジーか? それとも素手喧嘩か? まさか麻雀やポーカーじゃないだろうな? 哲学ビームや哲学バスターみたいな必殺技を使うわけじゃないだろうし。おまえらしく健全にスポーツ勝負でもするのか?」

 そこまで細かいことまでは考えていなかったのだろう。津久見は小鳥のように首を傾げた。

「スポーツ……そうですね、確かにスポーツものは私らしいかもしれません。
 私、中学の頃はバスケ部で名選手と呼ばれてたんですよ。南中のNo.1ガードだって」
「そのNo.1ガードが、どうして高校では文芸部で哲学小説なんか書いてるんだ?」

 おそらく、バスケは体の故障などで辞めたのだろう。そのリハビリ中に哲学書を読んだとか、そういうありきたりな理由だろうと、大まかなあたりはつけていた。しかし、津久見はまたしても俺の予想の斜め上を飛んだ、理解不能な回答を寄越した。

「三年生になってバスケを引退した後、受験の時に哲学に嵌っちゃいまして。それで哲学が勉強できるとこはないかな、って探してたら、先輩が私を文芸部に誘ってくれたんです」

 津久見を文芸部に誘った日のことを思い出す。今年は新年度に入っても中々新入部員が入らず、蒲江先輩から首に縄をかけてでも連れて来いとの厳命を受けていた。そんな折、この馬鹿と出会ったのだ。

『ええっと、この学校に哲学部はありませんか?』

 期待を籠めて瞳を輝かせるこいつに、んなもんあるある訳ないだろ馬鹿、と返さなかったのは、俺の忍耐強さの賜物だ。

『う〜ん、ちょっと哲学部はありませんねえ』
『……やっぱりありませんか』
『哲学を勉強したいんですか?』 
『はいっ! 私、哲学が大好きで、哲学を勉強できるサークルを探してるんです』
 
 ――その時俺は、妙な奴だが丁度いいカモが引っ掛かった! と胸中で会心のガッツポーズをとっていた。
 俺は、努めて善人じみた柔和な表情をつくり、優しく手を差し出した。

『それなら、文芸部に来られてはいかがですか? 我が文芸部は、ありとあらゆる本を読んで解釈したり研究したりする活動を行っています。読む本は勿論部員の自由――当然、お好きな哲学な本だって好きなだけ読めますよ。
 ――どうです、哲学好きな方にはぴったりだと思うのですが?』

 蒲江先輩に後から聞いた話である。津久見を連れた俺は、どこの悪質商法か誘拐犯かと言わんばかりの胡散臭げな表情をしていたらしい。しかし、

『わあ! 本当ですか! 素敵です! ぜひ文芸部に案内して下さい!』

 そう言って、津久見は目を輝かせて俺の手を握り締めた。
 ……その時は、新入部員が入らなければ廃部という我が部の状況を鑑みて、誰でもいいから引き入れなければいけない状況だった。間違いなく正しい選択だった。
 しかし、最近、津久見を文芸部の部員にしたのが本当にこいつにとって良いことだったのか、時折悩むこともある。

「なあ、バスケはもういいのか?」
「はい。バスケットは大好きでしたから、高校に入る時に止めちゃうのは本当に名残惜しかったんです。でも――今度は、何か新しいことが、哲学がしたかったんです」
「……そっか」

 微妙な、違和感。津久見がバスケと哲学を秤にかけて、哲学を選んだことは十分に解った。だが、肝心の津久見が哲学を好きになった理由が、その言葉の中からは全く汲み取れない。
 てっきり、いつものように自信満々な表情を浮かべ、いかにして自分が哲学を愛するようになったかを滔々と語るのだろうと思っていたのだが。俺は自分なりに津久見の哲学好きの理由に見当をつけているので、答え合わせが欲しいところだ。
 その理由は内緒にしておきたいのかもしれないし、こいつのことだから単に説明を忘れただけということも考えられる。別段、津久見が哲学に惚れ込んだ理由などにそこまで深い興味があるわけではないのだが――奥歯にものが挟まったような、釈然としない気持ちだった。
 何故だろう。どうして津久見はここまで一途に哲学を愛することができるのだろうか。
 津久見が哲学とバスケ、どちらでより大成できるかと問うなら、その答えは勿論バスケットだろう。普段の何気ない動きを見るだけで解る、運動神経と敏捷性の良さ。そして中学生時代に積み上げた見事な実績。それに対して、哲学の方は素人丸出し、過剰な興味ばかりが先走って空回りする毎日だ。
 津久見はまだ高校一年生、充分に転部も間に合う時期である。本当に津久見のためを考えるなら、今からでも、バスケ部に転部することを勧めるべきではないだろうか。そんな煩悶が、時折俺の胸中を通り抜ける。

「なあ、おまえ、もうバスケをする気はないのか?」
「勿論時時々は遊んだりするでしょうけど、――今は、哲学の方に集中したいんです」

 迷いなく、淀みなく、きっぱりとそう言い切った。
 俺は所在無さげに視線を彷徨わせ、助けを求めるように蒲江先輩の方を見つめた。いつものように洋書を読みふけっていた先輩は、俺の視線に気付くと、一瞬だけ顔を上げて小さく頷き、また視線を手元に洋書に落してしまった。
 ――自分で解決しろ。まるで、そう戒められたような気分だった。

「ねえ、先輩、それで哲学バトルの話なんですけど」
「哲学バトル……? そうか、そうだったな」

 津久見のバスケの話に脱線したので、頭から消えかけていたが、そういう話題だったのだ。

「それで、哲学バトルをどうするんだ? 格好いい哲学的な彼氏は、哲学でどうやって戦うんだ?」

 苦笑交じりに先を促す。

「究極の真理と至高の真理で大バトルっていうのはどうでしょう? 格好いい哲学系男子がお互いの持てる限りの知識を出しあって、どちらがより真理に近いか論戦をするんです」
「……そいつぁすげぇ」

 全く進歩の感じられない津久見のアイデアに微笑ましささえ感じながら、津久見の頭をぐしゃぐしゃと掻き乱した。

「わ、わ、わ、何するんですか!」
「哲学でバトルというのは、そう悪くないアイデアだと俺も思うぜ。今までのおまえが出した案の中じゃ、まあ、マシな方だ」
「本当ですか!」
「でも、勿論問題はあるぞ。哲学論戦バトルを行うとして、ジャッジはどうする?」
「あ……」

 笑顔を表情に貼りつけたまま、津久見が動きを止めた。

「まさか、作者のおまえが全知全能の神として、どちらがより真理に近いかジャッジを下すわけじゃないだろうな?
 一番無難な解決策は、過去の議論や理論の変遷をそのまま流用することだけどな、哲学議論ってのは、快刀乱麻断つような、鮮やかで誰もが納得できる結末で終息することなんて、滅多にないんだ。罵り合いに終わることも多いし、そもそも議論の内容が決着不可能な命題であることも十分に有りうる。互いの問題点を指摘し合って手打ちにするようなナアナアな終わり方なら、議論は上手く言った方だ。読んでカタルシスを感じるような見事な議論の決着というのは、本当に、稀なんだ。
 だから、書くとするならおまえが解釈や脚色を加えて、読者に解り易く形成しなくちゃいけないだろうな。勿論、読者が読んで納得するような、議論の決着なんて、かなりの文章力がないとできない芸当だが――挑戦してみるか?」

 そんな、挑発的な言葉が口をついた。津久見の力量ではできる筈はない。普段のように冷笑的な態度をとって、方向転換させた方が利口だろうに。何故だろう、今日に限っては、唐突にダメ元でも津久見にやらせてみようという気になったのだ。
 津久見はぽかんと口を開け、首を傾げて俺の言葉を反芻していたが、それが俺からのOKサインだということを理解すると、小さな両拳を握り締めて、飛び跳ねんばかりに、――いや、流石は元バスケット部、天井近くまで飛び上がって喜んだ。

「はい、私、頑張りますから! 絶対先輩をぎゃふんと言わせるような素敵な哲学小説を書いてみせますからね!」
「ああ、期待せずに待ってるから精々頑張れ」
「はいっ! では私は、資料を集めるために図書館に行ってきますね!」

 言うが早いか、津久見は廊下に飛び出してぱたぱたと駆けていった。生徒指導の杵築教諭に捕まらなければいいのだが。
 津久見の小説の件は何一つ片付いてはいない。これで、最初の第一歩の方針が決まっただけだ。しかし、何か途轍も無い大仕事を片づけたような疲労に襲われて、俺はどっかりと椅子に深く腰を下ろした。

「小説のジャンルを決めるだけでこれじゃあ、『哲学的な彼女小説』、完成までいつまでかかることやら……」

 呟いた俺の眼前に、ことりと緑茶で満たされた湯呑が差し出された。

「んふふ〜、お疲れさま、真人くん♪」
「あ、すみません、野津原先輩」
「やっと、理子ちゃんにしっかり厳しくできたみたいだね、真人くん。いつも真人くんは理子ちゃんを甘やかしてばかりだから、ちょっぴり心配してたんだよ〜」

 甘やかしてた? 俺が? 津久見を? どうも、今日に限っちゃ野津原先輩の言うことは的外れのようだ。

「真人くん、理子ちゃんのアイデアにあれはダメ、これもダメ、ってダメ出しばっかりしてたでしょう。心配だったんだよね、理子ちゃんのことが。
 真人くんは優しいからね〜。理子ちゃんが自分のアイデアそのままで書いて『たんぽぽ』に載せちゃったら、きっとみんなに批判されて、理子ちゃん凄っごく傷ついちゃうだろうからね。真人くん、そんな理子ちゃんが見たくなかったんでしょ?」
「いや、あの、それは――」

 反論したい。反論の台詞など一瞬で幾つも考え付いたが、どれも喉元で止まってしまって言葉として口からでない。

「でも、それじゃあ理子ちゃんがいつまで経っても成長できないからね〜。獅子は我が子を千尋の谷に突き落とす、ってね。例え傷つくことになっても自分の責任で、自分の伝えたいことを書いていかないと。それが、文芸部だからね〜」

 全然、そんなつもりはなかったのだが。俺は、先輩の義務としての最低限の指導して、そのついでにあいつをいじって遊んでいただけだ。別に、あいつのためだなんて全然考えてはいなかったのだが――そんな曲解をされると困ってしまう。
 ……やっぱり、野津原先輩はどうも苦手だ。反論の言葉がうまく口にできないので、代わりに、ずっと胸中で蟠っていた疑問を口にした。

「あいつが哲学好きなのは知ってるんですが、それが、どうして『哲学的な彼氏企画』に繋がるんでしょうか? どうも、そこが解らないんです。ただ哲学が好きなだけなら、ただの哲学企画で事足りる筈だと思うんですが……?」

 野津原先輩は、少女が内緒話をする時のように唇に人差し指を当てて、んふふ〜、と微笑んだ。

「それは秘密だよ〜。真人くんはにぶちんさんだから、もしかしたら当分解らないかもしれないね。とってもとっても簡単なことなのにね〜」

 何時もの無邪気の笑みとは違う、少しだけ悪戯げな笑みだった。
 


     ●



 さて、出来心で書いてしまったコレを一体どうしよう?
 部室の備品である小型のシュレッダーを前に、俺は小さな選択を迫られていた。
 ボタン一つで、俺の昨夜の30分の苦労は完全に消滅する。たかが30分だ。別段惜しむ程の労力ではないが、無為なものとしてしまうには幾許かの心残りを覚えた。
 さて、どうしたものか。
 5分程試案したが、これ以上考え続けると、制作時間を消去しようと悩んでいる時間が上回ってしまうことに気がついた。これ以上の浪費はないだろう。ここは男らしく、ぱっと一気に裁断してしまうのが吉だ。
 俺は、思い切ってボタンを押――。

「これなんですか? 先輩?」

 絶妙なタイミングで、不肖の後輩が俺の持っていた紙束をひょいと取り上げた。

「ああっ!?」
「あ、もしかして、先輩の『たんぽぽ』の原稿ですか? 読ませて下さい読ませて下さい〜」
 俺の制止など聞く筈もなく、津久見は無慈悲にも紙束の一枚を捲り上げ、そこに大きく踊る題字を見た。
 津久見の顔から表情が消える。その瞳が潤み、唇が震える。ゆっくりと、津久見はそこに書かれていた文字を読み上げた。

「『哲学的な彼氏企画――実験小説』もしかして、私のために書いてくれたんですか!?」

 それは壮絶な勘違いだ。本当にバトルもので哲学小説が書けるか、若干の興味が湧いたので、幾つかプロットを立ててみたら思いの他興が乗って、そのまま短編小説に仕上げてしまっただけのだ。断じて津久見の為などではない。
 趣味とノリ100%で書いたので、内容はそれはそれは酷いものである。とても他人に見せられたものではない。津久見の教育にも良くないだろう。

「ちょ、返せ、それ!」
「もう返しませんよぅ! 読ませていただきます!」
 
 手を伸ばして奪い返そうとするが、中学時代にバスケで名を上げたのは伊達じゃないらしい。するりするりとかわされてしまう。

「……ああ」

 俺は、顔面を両手で覆った。今から激怒する津久見の様子が目に浮かぶようである。
 ――そこに書かれたあまりにもふざけた超短編小説の内容はこうだ。


〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

「俺は、楽しく無えことは大ッ嫌いなんでな。テメエみたいな真面目くさった神父のことも大嫌いだ。辛気くせえ顔しやがって。
 けけけ、俺の哲力は2400ソフィスだ。たった1300ソフィスのテメエに負ける筈がねえんだよ。ほら、とっとと降参しな、糞神父」

 エピロスは余裕綽々の笑みを浮かべて、トーマスを睥睨した。トーマスは教会の片隅に追いやられ、その壁に背を預けている。誰が見ても、トーマスが劣勢なのは明らかだった。もはや勝ち目の無いトーマスを見守るように、その頭上は十字架にかけられた聖者の像が輝いていた。
 トーマスは救いを求めるようにロザリオを掴み、両手を組んで高く掲げると――ニヤリと口の端を吊り上げた。

「……そこのお嬢サン、もう一度ワタシの哲力を測定してみてくれまセンか?」
「は、はい!」

 突然声をかけられたアリスはびくりと背筋を震わせ、あたふたと哲学スカウターを取り出した。

「おーいアリスの嬢ちゃん、何やってんだよ、そんなのこいつの時間稼ぎに決まってるだろ? 一撃で終わらせてやるから、律儀にそいつの言うことなんて聞くことねーよ」

 エピロスはそう言ったが、アリスはトーマスの言葉に引っ掛かるものを感じ、哲力スカウターを起動させた。――そして、彼女は息を飲んだ。

「っ、これは一体――」
「どうしたんでぃ、アリスの嬢ちゃん!」
「トーマスさんの哲力が上昇していく! 2000ソフィス、3000ソフィス、……っ、そんな、まだ上がっていくなんて!」
「っ、テメエ、一体何をしやがった」

 さっきまでの劣勢はどこに行ったのか、トーマスは不敵に微笑むと聖書を広げ掲げた。

「特に何も。ここは教会デス。神の愛に抱かれているワタシの哲力は、信仰心と共にこの場所にいる限り、永遠に尽きることはありまセン」
「ケッ、教会だか何だ知らねえが、宗教家ごときが哲学者に敵うわけねえんだよ! 勝負だぜ! クソ神父! おい、お前は危ないから下がってろ、アリスの嬢ちゃん! 巻き込まれるぞ!」
「いいデショウ。信仰心を持たない者の言葉ナド、神の前では無力であることを教えてあげまショウ。どこからでもかかってキナサイ」

 トーマスは、己の聖書の表紙に掌を当てて叫んだ。

「論理召喚――全知全能の神!」

 高い哲力を持った哲学者は、己の哲学理論を具現化する論理召喚能力を持つ。
 これは、哲学理論が破綻していない限り際限の無い破壊力を持つが、相手に論理の穴を指定されたり、より正しい理論と競り負けたりすると、己の攻撃が全て自分に跳ね返ってしまうという諸刃の剣だ。
 トーマスは、矢次ぎ早に己の論理を展開した。

「全ての因果には始まりありマス。従って、そこには全知全能の神が存在するというのは自明のことデス」
「地球に人間が生存できるというのは、極めて奇跡的なことデス。僅かに大気の組成や太陽との距離が変わっていたら、人間は存在できなかったでショウ」
「人間には生きる目的が必要デス。ただ生れたから生きるという無為な生き方は、神の愛に包まれて生きる私たちの生き方に比べて何と悲しいことでショウ――」

 凄まじいトーマスの論撃が、神の威光の具現となって教会の中を吹き荒れる。

「きゃあっ!」

 まだ論客として未熟なアリスは、吹き飛ばされないようにするだけで必死だ。

「下がってろ、アリスの嬢ちゃん!」

 エピロスも、己の哲学書を取り出し、表紙に掌を当てて叫んだ。

「神だの因果だの楽しくないことが好きそうな奴だな、おい!
 ならば俺も貴様の神に問うてやる。
 論理召喚――全能の逆説!」

 ずずん、と重々しい音を立てて、教会の中央にステンドグラスまで届きそうな巨石が突如出現した。

「テメエの神に心して答えてもらおうか。
 全知全能の神よ、お前は自分に持ち上げられない石が作れるか?
 もし答えがイエスなら、持ち上げられねえ石を作った時点でテメエは全知全能じゃねえ。
 そして答えがノーでも、持ち上げられねえ石を作れねえテメエは全知全能じゃねえ」

 ごろり、人の身の丈を超える巨石が、ゆっくりと転がり始めた。――その先にいるのは、当然のようにトーマスだ。

「さあ、心して答えるんだな、糞神父。まあ、どう答えようとテメエは大岩の下敷きなワケだが――」

 巨石は徐々に転がる速度を上げていき、やがて唸りを上げて回転を始めた。しかし、絶対絶命の筈のトーマスは十字を切ると、張りのある声で論撃を返した。

「ワタシからも問いまショウ。頂点が5つある三角形を作れというような、そもそも論理的整合性を持たない命題に回答義務は有るのでショウか?」

 エピロスは一瞬の逡巡の後に大声で答えた。

「そもそも論理的整合性を持たない命題に回答義務はない! それは出題者の誤謬である!」

 トーマスは嬉しそうに唇を歪ませた。

「ならば、全知全能者に己の不可能な事物を作成せよと命じる命題も、同様に論理的整合性を持たない誤謬ではないのでショウか?」

 トーマスの寸前で、巨石が停止した。エピロスの頬を冷や汗が伝う。

「しかし……全知全能者が真の意味で全知全能なら、論理的整合性を超越することも可能な筈だ」

 トーマスは、楽しくて堪らないという風に目尻を下げた。

「その通りデス。当然、その場合はには、全知全能の神が己の持ち上げられない石を作成したところで、その全能性の否定にはなりまセン。そもそも、そんな論理的整合性は超越しているのですカラ。
 ――即ち、いずれにしても、我が神の全能性に曇りは無いのデス」

 トーマスの眼前で停止していた巨石が、ゆっくりと逆回転を始めた。ゆっくりと速度を上げ、召喚者であるエピロスの元へと向かっていく。

「うわっ、うわぁぁ!」

 恥も外聞も無く、エピロスは叫びを上げた。巨石は止まらない。エピロスには止める術がない。『全能の逆説』は、エピロスが神学者に使う最大級の大技だったのだ。それが破られた今、エピロスにはもう成す術は無かった。

「エピロスさんっ!」

 アリスが叫び声を上げた。しかし時既に遅し。エピロスが無残にも潰されようとした、その瞬間。論撃の声が響いた。

『神と言う言葉は事象の説明には不要である!』

 身の丈を超す長剣を持った男が、その鞘で巨石を受け止めていた。

「そんな、たった一言であの岩を止めるなんて……」

 謎の男はアリスを一瞥すると、トーマスへ鋭い瞳を向けた。

「戦意を失ったものへトドメとは、余りよい趣味ではないな。神学者トーマス」
「貴方は、一体何者デスか? どうやらタダものではないようデスが?」
「なに、元は貴公と同じ神学者よ」

 新たなる強敵の出現かと、戦々恐々していたトーマスは、あからさまな安堵の表情を見せた。

「何ト! 貴方もワタシと同じ神に仕える者でしタカ! 丁度いい、一緒に我らが神敵を滅ぼそうジャありまセンか!」
「見くびるな!」

 謎の男に一喝され、トーマスはヒイと縮み上がった。

「元同じ神学者だからこそ解る。貴公の言葉には、神に対する信仰心がまるで欠け落ちている。貴公は、自分の哲学を神という都合のいい概念で補強したいだけの俗物だ」
「い、いいでショウ! 貴方も同じ神敵なら、そこの連中と一緒に滅ぼして差し上げマス!」

 プライドを傷つけられたトーマスが、再び聖書を手にする。
 その動きを見た謎の男は、巨石を押し留めている大剣の鞘から、おもむろにその刃を抜き払った。
 しかし――。

「何なの。あの小さな剣は!?」

 その巨大な鞘に比べ刀身はあまりに貧弱。掌に乗る程度のサイズしかなかった。

「は、ハハハ、随分と見かけ倒しの剣デスねえ!」

 エピロスが一人、青褪めた顔で声を上げた。

「違う……違う、あれは剣なんかじゃねえ!」
「知ってるんですか!? エピロスさん!」
「知ってるも何も、あれは伝説の刃『オッカムの剃刀』だ!!」

 男がその小さな刃を持っただけで、まるで身の丈を超える剣を構えているような威圧感が周囲を包みこんだ。
 男は低い声で告げる。

「神の名を濫用する愚者よ――貴様の神、このオッカムの剃刀が剃り落してくれよう」

 ……一体、何が始まるというの? 兄さん、貴方なら、こんな時にどうするのかしら?
 アリスはただ、胸元でぎゅっと拳を握り、事の成行きを見守ることしかできなかった。

     ◆

 同刻。

 そして、一つの戦いが終わった。
 湖の畔の小さな小屋は、屋根は吹き飛び、壁は倒れ、半壊の有り様を見せている。
 それらの瓦礫は、この場で行われた論戦の激しさを物語っていた。
 一つ、奇妙なことがあった。
 半壊した壁から覘く小屋の内側――そこには、何一つ、色が無いのである。パソコン、壁紙、机、扉、マグカップの一つに至るまで、まるで色黒放送のテレビのように、全て無彩色で埋め尽くされていたのだ。

「うふふ、負けちゃったわね」

 湖畔では、若い女性が、たおやかな笑顔を浮かべて空を見上げていた。
 童女のような笑みを浮かべ、空を見上げ、湖を覗き込み、花を摘んでいる。
 彼女は、隣の少年に語りかけた。

「でも、貴方に負けることができて良かった――。
テレス君、ありがとう、やっと解ったわ。……これが、『色』なのね」
「ええ、マリーさん。これが、『色』です」

 無彩色の部屋に閉じこもり、色彩という概念のメカニズムを全て解き明かさんと研究を続けていた色彩学者のマリーは、この日、初めて本当の意味での色を理解したのだ。
 マリーはゆっくりと、己を取り囲む全てをゆっくりと指さす。

「この空の色が青、この花の色が赤、あのお日様の色が黄色、この葉っぱの色が緑――。
 本当に綺麗。こんなに長く色を研究してきたのに――ずっと気付かなかったのね。色の美しさに」

 テレスは、溜め息を漏らす。マリーに色というものを教えたくて、部屋で研究を続けようとするマリーと戦ったのだ。テレスにとって初めての本格的な論戦。本当に長く苦しい戦いだったけど、これで、全て報われた気分だ。

「ああ――空……陽の光……本当に、何て素晴らしいんでしょう」

 マリーはゆっくりと空に向かって両手を広げ――。
 そのまま、突然の落雷に撃たれて倒れ伏した。

「マリーさん! マリーさん! ……っ、誰がこんな酷いことを!」

 幸せそうな表情で、マリーは静かに絶命していた。この晴天で雷なんて落ちる筈がない。
 何者かによる論撃があったのだ。

 べちゃり、と、泥沼を歩くかのような足音が聞こえた。べちゃり、べちゃり、という水気のある足音はどんどんテレスの背後に近付いてくる。
 テレスはマリーの亡骸をそっと草の上に寝かせると、鋭い目つきで振り返った。

「……マリーさんを殺したのは、貴方ですか?」

 べちゃり。今泥沼から上がってきたばかりという風情の、小汚い男が、虚ろな瞳でテレスを見つめていた。

「か、か、雷を落したのは、お、俺だ。そ、そうか、彼女は死んでしまったのか……」
「ふざけているんですか! 貴方は!」

 テレスは激昂した。だがその瞬間――天から落ちた稲光が、男を貫いた。
 男は声も無く倒れた。テレスが慌てて駆け寄ると、既に絶命している。

「……どういうことなんだ、一体?」
「お、お、俺は死んでしまった。だが、こ、こ、ここに俺はいる。お、教えてくれ。俺は生きているのか、死んでいるのか?」 

 テレスの背後から声がした。反射的に振り返ると、今絶命した男と寸分変わらぬ男が、テレスの背後に立っていた。雷に打たれて絶命した男の亡骸は、そのままその場に横たわっている。

「貴方は一体、何者なんですか?」
「お、お、俺の名はスワンプマン。不死者スワンプマンと呼ばれている。お、俺が雷に打たれて死ぬ度に、しゅ、周囲の元素を使って、お、俺を構成していた元素配列と全く同じ形で、お、俺と同じものが複製されてしまうんだ。お、俺は今死んだ。今までに幾度となく死んだ。だが、こ、この俺は今生きている。教えてくれ。俺は生きているのか? 死んでいるのか? ――論理召喚、テセウスの船」

 こんな相手、どうしろというのか?
 テレスは泣きそうは気分で空を見上げた。マリーが見上げた青空は徐々に雨雲に覆われ、じき土砂降りの雨によって、周囲は泥沼のように変わるだろう。
 ――アリス、僕はどうすればいいんだろう?
 テレスは胸中でそっと、遠く離れた妹を思った。

      ◆
 次回予告!

 伝説の刃を目撃するアリス、オッカムの剃刀、伝説のその威力とは!?
 不死者スワンプマンと相対したテレス、果たして攻略法はあるのか!?

『第4話 アリスとテレス、絶対絶命!』

「哲学兄妹 アリスとテレスの大冒険」次回もお楽しみに! 


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 やっべー、怒られる、これは怒られるぞ。
 構想5分執筆30分。深夜アニメのノリでふざけながら書いてみたのだが、到底津久見の楽しめるような代物じゃあない。
 見ると、津久見はぷるぷると肩を震わせていた。まずい、爆発5秒前といった感じだ。早く逃げなければ……。
 踵を返してダッシュしようとした俺の手首を、津久見が掴んだ。

「佐伯先輩!」
「は、はいぃぃ! 何でしょう!」

 津久見の勢いに、情けなくも敬語で返事をしてしまった。津久見は鋭い瞳で俺の目を覗き込むと、重々しい口調で言った。

「素晴らしい作品ですね! 流石は先輩!」
「えっ!? アリなのか!? おまえ的にはこれがありなのか〜!?」
 
 親指を立てる津久見の肩を掴み、がくがくと前後に揺さぶった。
 本当に――こいつの趣味だけは、本当に解らない。



     ●



 これも鬼の撹乱と言うのだろうか。珍しく、最近どうも津久見に元気が無い。『哲学的な彼氏小説』の進捗が良くないわけでも無さそうだし、何時かのように3ちゃんねるで作品が酷評されたようでも無さそうだ。 
 ただ理由もなく、部室でもぼーっとしていることが多いし、明らかに以前のような活気を失っていた。
 いつもは喧しいのでもう少し静かにして欲しいと常々思っていたのだが、いざだんまりを決め込み始めると、何か良からぬ病気にでも罹っているようで、これはこれで不気味である。別に津久見を心配するわけではないが――部の平穏のため、少しこいつを散歩に連れ出してみることにした。
 津久見を部室から連れ出しながら、いつもの癖で振り返る。引退間近の先輩二人は、いつものように読書に没頭しながらひらひらと手を振ってくれた。
 秋風吹く校庭の端で、津久見は所在無さげに鉄棒にぶら下がり、前転をして嘆息を漏らした。……やはり、尋常な様子ではない。

「なあ、おまえ最近何か悩んでること、あるんじゃないのか?」

 こいつ相手に回りくどい尋ね方をするのは面倒だ、単刀直入に聞くことにした。

「はい、最近は悩まされることばっかりで……」

 津久見ももったいぶらず、真っ直ぐに言葉を返した。

「へえ、教えてみろよ」

 津久見は小さく深呼吸をして、重大ごとを打ち明けるかのように俺に漏らした。

「ねえ、先輩、私哲学に向いていないんでしょうか?」

 思わず、ぐ、と一瞬言葉を詰まらせ、返答に窮してしまった。
 ……言いたいことは多かったが、俺は冷静に先を促した。

「バスケ部の子たちが、私にバスケ部に入った方がいい、っていうんです。作文もまともに書けないのに、文芸部なんて無理だって、バスケ部ならスターになれる、って」

 それは、俺が長らく懸案してきた事項でもあった。

「私、哲学の良さをみんなに知ってもらおうと思って、時々クラスのみんなに哲学の話をしたりするんです。でも、ちゃんと聞いて貰えたことはありませんでした。ほとんど興味ないよ、って感じで。良くてへーって聞き流す感じで」

 それはそうだろう。こいつのような偏執的な哲学好きがそうそう居る筈がない。そのクラスメイトの方が正常な反応だ。

「家族も言うんです。そんなもの勉強するより、学校の勉強をしなさい、って。学校の先生も、哲学じゃあ、なかなか大学行けないぞ、って。もしそれで大学に入れても、哲学なんか専攻したら、就職で凄く苦労することになるぞ、って」

 それも概ね親や教師が正解だ。――ついでに言うなら、俺が幾度も、哲学を勉強したいという津久見に教えたリスクでもある。
 津久見は辛そうに下を向いていた。
 つまりこいつは――この後に及んで、やっと少しだけ自分を、哲学をするということを客観視できるようになったということか。
 今まで何度も俺が注意してやったのに、ざまあみろ。そう言って嗤ってやりたいという黒い気持ちが、もぞりと腹の底に湧いた。しかし、肩を落とす津久見の姿を見ていると、そんな気持ちも、この秋の枯葉より脆く散り散りに飛散していった。

「中学でも、そうだったんですよ」

 津久見は、ぽつり、ぽつり、と先を続けた。

「バスケ仲間や、クラスメイト、みんなに興味を持って貰おうと思って、哲学を広めようとしたんですけど――興味をもってくれうる友達は居ませんでした。それどころか、哲学好きになって、失くしちゃった友達も何人もいます。その頃は、私も哲学にはまったばっかりで、強引に良さを伝えようとしちゃったこともありますから、半分は自業自得なんですけどね」

 津久見は、弱々しく笑って頬を掻いた。……もしかしたら、これは津久見を才能に見合った道に戻す、良い機会かもしれない。そんな酷なことも俺は考え始めていた。だが。津久見は続けた。

「先輩が、初めてだったんです。
 文芸部に誘ってくれて、哲学の本を紹介してくれて、私の哲学の話を聞いてくれて、一緒に哲学の勉強をしてくれて――全部、先輩が初めてでした」

 ああ、こいつは馬鹿だ。馬鹿だ馬鹿だと思っていたが、ここまで馬鹿とは思わなかった。
 あれだけ邪険にされても意地悪されても、哲学の本を持って俺の元にやってきたのは。
 ――本当に、他に頼る相手もいなかったのか。同好の士の一人も作れなかったのか。

「先輩は、結構意地悪さんでしたけど……いつも大事なとこは優しく教えてくれましたし、文芸部の蒲江先輩も、野津原先輩も、智ちゃん先生も、とっても素敵な人ばかりでした。だから、先輩には感謝しきれないぐらい感謝してるんですよ」

 こっ恥ずかしい台詞を、臆面もなく正面からぶつけられて、気恥ずかしくて反射的に視線を逸らしてしまった。

「先輩は、本当に不思議な人ですね。オタクさんなのに、本を読むのは物凄く早いし、哲学のことだって、もしかして私より知ってるんじゃないかって思うことも何度もありました……」
「ちょっと待てやコラ」

 大人しく独白を聞くつもりが、堪えられずつい突っ込んでしまった。

「もしかして、って、おまえ、まさか未だに哲学知識で俺に勝ってるとか思ったりしてないよな? な?」
「ええっと、専攻分野なら流石に負けないだろうと思ってたんですが……」
「アホか! わざわざ口に出すことでも無いだろうからと黙ってたが、本当に気付かなかったのか? おまえの読んでる程度の入門書なら、とっくの昔に全部読破済みなんだよ! 哲学好きなら、実力差ぐらいには気付いてくれよ!」
「あうう、おかしいじゃないですか! 先輩はいつも漫画やラノベばっかり読んでるオタクさんなのに、何時の間にそんな難しい本を沢山読んだんですか?」

 ……そういえば、津久見視点からは俺はただのオタク野郎なのか。あいつが色々語ったんだ。俺も、少しだけ自分のことを話してみよう。

「俺の親はな、司書だったんだ。小さい頃は図書館が俺の遊び場だったよ。興味のある本や、親が薦めた名作の類は、小学生の頃に全部読み上げた」

 先輩たちにも話したことがある、他愛もない無い昔話だ。

「凄い……先輩が本を読むのが早いのも当然ですね……でも、じゃあどうして先輩はライトノベルばっかり読むようになっちゃたんですか?」

 ほえ〜と目を丸くしながら、津久見は俺に続きを促す。少しだけ、こいつにいつものテンションが戻ってきた気がした。

「中学校の頃に友達に借りた涼官ハルミの憂鬱、それが面白くてなー、貪るように読んだよ。それから次々ラノベを梯子して……中学2年の頃には、すっかりラノベ中毒、今じゃあこの有り様だよ」
「普通の本は、全然読まなくなっちゃったんですか?」
「読んでるに決まってるだろ? ラノベは駄菓子感覚で読めるから、持ち歩くのには丁度いいんだよ」
「そんなに、ラノベが面白かったんですか?」
「ああ。勿論、純粋な小説としては、普通の本に劣ってる部分が多いのも承知してるけどな。ボキャブラリーは貧弱だし、行間は多いし、テンプレな展開に終始してる作品ばかりだし、ヒロインはどこかで見たような安い萌えキャラばかりだし。
 ……それでも、問答無用の迫力と、腹を抱えて笑える底抜けの明るさがあったんだな」

「本当に、先輩はラノベにはまっちゃったんですね」
「そうだな、経緯はおまえが哲学にはまった理由と似たようなもんだろう?」
「はい……えっ?」

 津久見はきょとんとした表情で、俺の顔を見据えた。

「えーっと、何で先輩が、私が哲学にはまった理由をご存じなんですか? 誰にも言ってないつもりだったんですけど……?」
「あ、カマかけてみたけど、やっぱり当りだったんだ」

 意地悪い顔でピースサインを送る。うん。だんだんいつもの調子が戻ってきた気がする。

「ど、どうして先輩が知ってるんですか? あ、もしかして、知ってるふりしてるだけじゃないんですか?」
「『ソフィーの世界』」

 その一言で、津久見は完全に息を飲んだ。

「何で? どうして先輩がそれを知ってるんですか? な〜ん〜で〜?」
「簡単な推理だよ、ワトソン君」

 俺は自分の名推理を披露する。

「おまえは有名な哲学の入門書を何冊を持ち込んでいたが、ソフィーの世界はその中には無かった。また同様に、俺に解読を頼んだ本の中に存在しなかったな。
 何より、文芸部で哲学的な小説を書こうというのに、著名な哲学小説筆頭であるソフィーの世界に、おまえが触れないわけがない。
 人が何かを遠ざける場合に、理由は大まかに分けて三つある。一つは嫌悪。一つは無関心。もう一つは、極度の愛情だ。おまえは、軽々しく文芸部で題材として扱うのを嫌うほど、ソフィーの世界を大事にしてたわけだ」

 津久見はぽかんと俺の話を聞いていたが、にぱっ、と笑って降参とばかりに両手を上げた。それは、いつもの部室での笑顔だった。

「ご明答です。名探偵佐伯先輩! そこまで知ってるということは、当然先輩も……」
「ああ、小学生の頃に持ってたよ。だいぶ前に古本市に売っちまったけどな」
「うわ! 信じられません! あんな素敵な本を売っちゃうなんて……でもまあ、私もソフィーの世界を買ったのは古本市だったので、売った人を責めることなんてできませんけどね」

 そう言って、津久見は照れくさそうに頭を掻いた。

「いつかのおまえのアイデア、実はこの世はコンピュータの中の世界だったオチ、あれもなんだかソフィーの匂いがするし、ヒントはいくらでもあったさ」
「本当に、先輩には敵いませんね……本当にその通りです。高校受験の時期に気分転換に読んだソフィーの世界が本当に面白くて、今まで自分が考えたこともないような哲学を山ほど考えさせられて、今でも少し解らないところがありますけど、中学生の私には解らないところだらけで、難しい言葉の意味を調べたりして……受験そっちのけで、哲学のファンになっちゃいました。こんなに一生懸命本を読んだのはこの本が初めてだったんです。
 はい、これが私の宝物、ソフィーの世界です」

 津久見は、ごそごそとトートバッグから一冊の古びた本を取り出した。一世を風靡した哲学小説、『ソフィーの世界』である。
 懐かしい装丁である。まるで汚れや折れ目の入り方にまで既視感を覚えるような。
 ――ん、あれ? この本は? ――あっ!
 秋の涼風が吹きすさぶ中、俺の頬を冷や汗が伝った。

「……津久見、その本を、早く鞄にしまうんだ」
「先輩?」
「しまうんだ」
「どうしたんですか、先輩、顔が真っ青ですよ。どこか体調でも悪いんですか」
「いや、そんなことはいいから、その本を――」
 
 しまえ、と言おうとした瞬間、なんともベタなタイミングで一陣の秋風が吹いた。
 俺は無神論者だが、この時ばかりは、悪意ある神か何かを信じてしまいそうな程の、最悪のタイミングだった。
 ぺらり、とソフィーの世界の表紙が捲れ上がる。慌てて津久見がそれを押さえる。
 そして、津久見は見た。本の表紙カバーの内側に書かれた、拙い文字のフルネーム。
 鉛筆書きの『佐伯真人』という名前を。
 津久見は自分の見たものが信じられないという様子で、名前と俺の顔の間を幾度か視線を往復させた。そして、暫しの黙考。ぱっと目を開いてぽんと手を打ち。

「あ〜〜〜っ、この本、もしかして先輩が売っちゃったっていうソフィーの世界ですか?」
「……もしかしなくてもそうだよ、見て解らないか?」
「何だか、運命的なものを感じますね。先輩がこの本を売ってくれなかったら、私が哲学に興味を持つこともなくて、文芸部に入ることも無かったんですから」

 愛しげに、宝物のようにソフィーの世界を抱き締める。
 津久見の薄い胸に抱きしめられているソフィーの世界を見て、少しだけ胸の奥が疼いた。直接的な原因ではないし、責任も無いだろう。だが俺は、確かにこいつの人生に哲学という一石を投じる発端を作ったのだ。
 その事実は、もう変えられない。だが、これから先、哲学とどう付き合っていくかは、津久見が自分が決めるべきことなのだろう。
 表情に少しだけ不安げな陰りを見せて、津久見は問うた。

「ねえ、先輩……私、これからも哲学してもいいんでしょうか?」

 ……こいつは、本当に、つくづく馬鹿だ。そんなの、答えは決まっている。

「おまえ、哲学好きなんだろ? だったら、哲学する理由ぐらい自分で哲学しろ」

 津久見は雷に打たれたように立ち尽くしていたが、やがて満面の笑みを浮かべて頷いた。

「はいっ、自分で哲学します!」

 そしてこの不肖の後輩は、前を歩く俺の袖を、はにかみながらそっと掴む。

「先輩が売ったソフィーの世界のお陰で、私はこんなに哲学好きになっちゃいました。
 私がこんなに哲学が好きなのは、みんな、み〜んな先輩のせいです。
 だから――これからもずっと、私の哲学に付き合って下さいね!」
橙。 Pu6zR7isB.

2010年12月31日(金)14時36分 公開
■この作品の著作権は橙。さんにあります。無断転載は禁止です。

■作者からのメッセージ
1月2日、中編と後編を合体させました。ノベルチェッカーでぎりぎり無理かと思っていましたが、ぎりぎりセーフだったようです。
 

 一つ、この作品を開いて頂いた皆様にお詫びしなければいけないことがあります。
 作品の投稿規程に、原稿用紙100枚以内ということになっていましたが、この作品はそれを大幅に超過して、短編連作という形で投下させて頂くことになりました。
 この作品はワードで作成したのですが、当初、原稿用紙の設定にして100枚以内で書けばいいや、と安易に考えておりました。
 しかし、ページ設定を横幅の20字のみ設定し、縦は60字以上という間違った形になっていることに気付かず、間抜けなことに、100枚書くのは大変だなあ、と思いながら、延々と執筆を続けていたのです。
 いや、普通気付くだろ? 他の作品に比べて明らかに明らかに長いじゃないか、と当然の疑問を抱かれる方も多いと思われるでしょうが、実は、作品がぶれないように、自作を投稿を終えるまで他人の作品を読まないという縛りをつけて執筆をしておりました。
 ギャグのような、本当の話です。
 もう書きなおしが効かない時期になって誤りに気付き、飲茶氏にTwitterで短編連作の形で投稿する御許可を頂き、恥を忍びながら今回投稿させて頂いた次第であります。
 皆様きちんと規定枚数内で作品を完成させているのに、このような形で投稿させて頂くのは重大なマナー違反であり、無礼者の謗りを受けるのも当然と覚悟しております。
 ですが、折角書いた作品をお倉入りにするには忍びなく、こうした形で公開させて頂くことにしました。拙作ではありますが、もしご笑読頂けたなら無上の幸いです。

                          2010年12月31日 橙。

 




この作品の感想をお寄せください。

2011年06月10日(金)00時30分 svaahaa I0z7AdLSAc +40点
 はじめまして、svaahaaといいます。第1回の哲女企画も終了し、第2回が始まろうというこんな時期に申し訳ありませんが、読了したので感想を書かせていただきます。毒にはなっても薬にはなりませんが、そこは予めご了承ください。

 さて、本作はまさしく軽快かつ軽妙といいますか、冒頭からいきなりぶっ飛んだネタを突きつけられて、そのまま引きずり込まれるように読んでしまいました。文章も読みやすく、各所に散財するオタクネタには十二分にニヤつかされました(旧劇場版EVAを真っ先に見せられたという野津原先輩に敬礼)。そうかと思えば漢詩やらシェイクスピアの話にもなる――作者さんの知識の裾野は広そうだ。とにかく、本作は文句のつけようもなくライトノベルであり、実際あまりラノベとしてならそう文句もつかないと思います。佐伯先輩もいってますけど、ラノベに小説としての完成度を求めすぎてもそんなに意味がないというか、手軽に気軽に娯楽を提供するエンターテイメントとしての役割さえ果たしていればそれでいいんですよね。なんだかんだ後は読者側が脳内補完してセルフサービスで楽しんじゃうので。何がいいたかったかというと、要は私は本作を楽しく読ませてもらったということなんですが。

 私が個人的にすごいなと思ったのは、本作のアイディアそのものです。まさか哲女企画自体を直接題材にするとは――私のチンケな頭では思いつきもしませんでした。小説内小説の逆といいますか、アンチメタとでもいうのか。ともあれ、融通の利かない私の脳みそに作者さんのシナプスを移植したい気分ですよ、ええ(いや、何の効果もありませんが)。

 下巻の哲学バトルは――いやはや素晴らしい黒歴史です。ネタとしてはちょっと長いように感じましたが、哲学好きには通じるギャグで、私は楽しめました。定金伸治著『制覇するフィロソフィア』を思い出しましたね。よく考えたら、あの作品は本企画の先駆けともいえる(唯一の?)商業小説かもしれませんね。もう一度読み直して勉強でもしてみようかなぁ……。

 というわけで、以上です。点数は個人的嗜好と直感からの結論です。すでに受賞作品が発表された後ということもあって、大胆な配点をしているというのも否めません。私がラノベ好きのオタクで、本作との相性がよかっただけだといわれれば反論のしようもないです。しかし面白かったと感じたことに嘘はありません。元より感想なんて客観的な評価とはいえませんし、そこらで一つお手打ちをばお願いします。

 第2回の企画も参加されるということで、何よりです。今回はきちんとルールを守ってくださいね? そうすれば飲茶さんの前回の脳内受賞者候補リストに挙がったという裏実績(?)もあることですし、第2回では受賞者の名前がオレンジ色に染まっているやもしれません――などと煽動家よろしく適当なことをほざいたところで、どうもありがとうございました。
132

pass
2011年06月07日(火)22時55分 橙。  作者レス
>がーじーさん

 ご感想ありがとうございます!
 ラストの展開やソフィーの世界の使い所は、正直強引だったなあと自分でも反省しています。
 ソフィーの世界を出すのは最後と決めていたのですが、それまでの津久見の隠れた狂信具合を、
・有名どころを片端から挑戦してるのに、ソフィーの話題が出ない。
・哲学小説へのこだわり
・マトリックス系のオチ
 などで伏線として置いておこうと思ったのですが、婉曲過ぎて、今自分で読み返してみても拙いと猛省中です。
 何より、哲学小説でソフィーの世界を連想できる方であることを前提とした伏線ですので、万人に分かる設定にしないと物語としてフェアではありませんでしたね。

 津久見はちょっと危ないぐらいの狂信者キャラとして設計しました。現実にいたら間違いなく引かれるタイプのキャラですので、コミカルに動かそうとして苦心しました。

 
 第二回開催も決定したので、今回の反省を籠めて次回作に取り掛かろうと思っていますので、またお読み頂ければ無上の幸いです!

pass
2011年06月02日(木)20時09分 がーじー  +20点
 まず。上巻の冒頭のアカデメイアの話、「アリじゃね?」と思うのは私だけだろうか。
 パロ的お話としてみれば哲学をかじった人には結構受けるんじゃないかと思いました。

>突然、曲がり角でアタシに誰かかがぶつかった。
タイポがあるのはまあご愛嬌ですね。


 3ちゃんねるに投稿した時の反応は、実にリアリスティックで笑えました。どうみても2ち●んねるです本当にあr(ry
 津久見が投稿したら叩かれるだろうな、と上巻を読んだ時点ですぐ予想できたので、ニヤニヤ嫌らしい笑みを浮かべながら下巻を読み始めたわけですが……まさか「16歳の女子高生です」なんて余計な書き込みをして、いわゆる「祭り」が勃発してしまうとは流石に予想外でした。いやあ、ここは爆笑しました。某巨大掲示板に慣れ親しんでいる人なら、スレッドの様子は手に取るように想像できたことでしょう。


 ちなみに、読んでいる途中で、「津久見はどうして哲学が好きなのか?」、「津久見はどうして主人公が好きなのか?」という2つの謎は繋がっているんじゃないか、つまり哲学が好きになった原因が主人公にあるのかな、と漠然と期待していたのですが、これは本がキッカケってことで外れたなー……と思いきや、最後で主人公も微妙に一役買っていたことが判明。『ソフィーの世界』がキッカケというのは確かにありそうな話です。昔、結構話題になっていましたよね。しかし、主人公の推理はちょいと強引な気がしました。他にも有名だったり読みやすい本はあるし。ちなみに、実例ですが、中島義道氏の本(タイトルは聞くのを忘れました)で哲学にはまった当時女子高生を知っています。哲学にはまる動機のあたりは、願わくば、前半に何かヒントがあったならなぁ。


 それにしても、津久見のキャラ付けが濃い。「哲学大好きだけど頭がパー、しかし発想は天才の片鱗を感じさせる女子高生」は妹ゲーが好きな妹とかイカの化身と同じくらいカオスです。しかも好きさ加減が凄まじい。友達をなくしちゃうほど入れ込むってのは相当ですね。いったいどんな強引な語りをしたのやら。まあ、でも、はまったのが哲学でよかった。この娘がカルト宗教の布教本とかにはまっていたら、
「私は、私の小説で哲学の面白さというものをみんなに広めたいんです。」
の代わりに
「私は、私の小説で導師(グル)の偉大さというものをみんなに広めたいんです!」
となっていたやもしれない……。
120

pass
2011年01月05日(水)23時55分 橙。 Pu6zR7isB. 作者レス
>ciggerさん

 この度はご感想ありがとうございました!
 仰る通り、津久見はとことん犬系のヒロインとして設計しました。

 哲学などの専門用語は、初心の人に解説するようなノリの部分と、
 飲茶さんの『哲学的な何か、あと科学とか』のサイトの常連さんなどを対象して少々説明を省いた部分と、
 元ネタを知ってる人がニヤリとしてくれればいいや、という部分の、三種類に別けて混ぜたつもりですが、読み返すとまだまだくどい部分が多いと猛省しています。


 あと、可愛い女の子の好意に気付かないのは、男主人公の仕様です!


 ラノベの男主人公はやっぱり鈍感系だろ、ということで、津久見の好意の好意はとことんスルーされることになりました。
 しかし、鈍感系主人公にはもう飽きた、一体何年前の流行だよ、という方も居られると思うので、少々やりすぎたかな、と省察しています。
 態々貴重なお時間を割いて、このような作品を最後までお読み下さったことに、心からの感謝を。
 


pass
2011年01月05日(水)22時46分 cigger e67wD8MYCo +40点
読ませていただきました。
ええ、その……この話に対する感想は一つですね。




 津 久 見 ち ゃ ん か わ い い ! ! 



もうこれに尽きます。
なんかもう、子犬みてーだよ! すげーかわいいよ!
個人的には貧乳なのを弄られるのがまた堪らん……(*´д`*)ハァハァ
哲学的なロジックも話を圧迫しない程度の絶妙さ加減で入れられ、その手の知識に乏しい自分でも楽しめて良かったです。
ただ一つ……一つだけ残念だったことがある。



なぜこんな可愛い子の好意に気付かない!?!?www



いや、そのもどかしさがまた良いんですけどね!ww
このモヤモヤした感じがちょっと心残りだったです。
でも総じて大変楽しめたので問題なし。
ありがとうございました!
132

pass
2011年01月04日(火)01時25分 橙。 Pu6zR7isB. 作者レス
>色音さん

 ご感想ありがとうございます!
 こんなに長く面倒な話を読破して下さった上、津久見を可愛がって頂いて、作者としては無上の喜びです!
 涼官ハルミ……もとい、涼宮ハルヒシリーズですが、この作品を執筆するにあたって、一番参考にしたラノベです。
 コメディ色の強いラノベ的な作品にしようと考えていたので、涼宮ハルヒシリーズはお手本にはぴったりでした。
 お褒めに与った人物配置などが、一番強く影響を受けた部分です。文芸部の面々のポジションは、ハルヒシリーズのSOS団なら誰に当たるのだろう、などと考えながら並べました。誰が誰にあたるのかは、割と一目瞭然かと思います。(笑) ただ、長門枠は欠番です。言葉の掛け合いを中心にしたコメディなので、その中で無口キャラを動かすのは私の力量ではまだまだ無理がありました。
 私自身、涼宮ハルヒシリーズは結構好きな作品なので、今作も、似せる部分は最小限にしようと思っていましたが、思った以上に影響を受けている部分が多いだろうと思っています。

 後半が散漫でクライマックスが弱いとのご指摘ですが、非常に御尤もだと私も思っています。
 かなりハイテンションで血圧の高い展開が序盤から中盤まで延々と続くので、最後は読みつかれた読者の方が、ほっと一息つける落ち着いた形にしたいと思っていたのですが、最後までハイテンションで一気に駆け抜けた方がラノベらしかったかな、と今でも悔やむ部分です。
 どちらにせよ、終盤で惹きつける技量不足なのは間違いないので、精進していきたい部分です。
 『アリスとテレス』は石を投げられても構わないという勢いで書いた、作者の悪ふざけですが、それでもご笑読頂けたなら、これ以上の喜びはありません。
 ライトノベルの一冊目のようだと仰られましたが、私自身、これは一話完結の読み切り的ではなく、シリーズものの一巻的な形で締めようと考えていたので、考えを読まれたようで吃驚しています! 2シリーズ目があるなら、ベタに文芸部に入部してくるツンデレ転校生でしょうか?(笑)

 色音さんは学問を物語を通じて解り易く伝える、志高い創作をされているとのことですが、このような作品を書いた身としては、是非拝読することができればな、と思っています。あちこちのWEB創作をぶらりと読み歩くのが趣味なので、どこかで巡り会えれば幸いです。
 それでは、上下二度に亘る親身なご感想、本当にありがとうございました。このご感想を糧に、次なる創作へと励んでいきたいと思います。




> nさん

 ご感想ありがとうございました!
 ご読破頂いたのはnさんで3人目になり、まさかこんな沢山の方に拙作が最後まで読んで頂けるとは! と狂喜しています。

 nさんは、オタク畑の話をあまりご存じないとのことですが、本作は相当な量のオタク・サブカルチャー系統の話題やネタを使用しているので、失礼な話ですが、正直に言うと、そちらの話題に興味の無い方は、途中で読むのを止められるだろうな、と思っていました。
 内輪ネタや、オタク世界の話題を多用して、対象読者によりウケるようにしよう、という傾向は最近のライトノベルでは顕著です。その傾向の正誤については議論があるかもしれませんが、私はとことんラノベチックな作品にしようと思っていたので、まるで興味の無い読者さんに見捨てられてでも、その傾向を取り入れてみることにしました。
 しかし、オタク世界に興味の無い方にまで読破頂き、この企画の読者の方々の懐の深さに感謝しています。

 長すぎる、とのことですが、全く本当に仰る通りです。
 この無駄に長い拙作を最後までお読み下さったことに、心からのお詫びと感謝を捧げます。
 


pass
2011年01月03日(月)05時11分 n  +30点
面白かったです。キャラクターも親近感がわいて、「絵」として想像でき、
今すぐにでもアニメになりそうで、ラノベ的だと思います。

実際にはラノベを読んだことがほとんどなく、
お話に出てくる「オタクの世界」も全然知らないんですが・・・
巷で聞く「ラブプラス」って、へ〜そういうこと〜!
って感心しながら読みました。
・・・読者失格ですね。

そんな予備知識ナシの私にとって、このお話は興味深いことは確かですが、
長すぎる!
一生懸命考えながら読むので大変でした。
長いのに、
「もっとそれぞれのキャラクターについて知りたかったなぁ・・・」
「二人の関係が、もうちょっとドキッとするとこまでいってほしかったなぁ・・・」
と思ってしまいました。
お話に魅力を感じたからこその思いでもありますが。

点数をつけるのは申し訳ない、難しい!と思いつつの評価です。
136

pass
2011年01月02日(日)22時54分 色音 
いやあ、実に面白かった!
もっと読みたいです!
本当は50点入れたいところなんですが0点ですみません。(あくまでも慎重に行動したいと思います)
特に中盤の津久見ちゃんの一挙手一投足がとても愛らしくて頬がほころんでしまいました。
というか、お前ら、もう付き合っちゃえよ、と(笑)
ちなみに私が上巻のときは理子ちゃんと呼んでいたのにこちらでは津久見ちゃんと呼ぶのは、私の中で「主人公の呼び方+ちゃん」というルールが決まっているからです、はい、どうでもいいですね。
ライトノベルっぽい読みやすさに加えて、哲学的な議論においても身近なことを題材にしっかり議論していた点がとてもよいと思いました。哲学に明るくない人でも楽しく読めて、なおかつ哲学的思考の入り口になりうる……これこそまさに津久見ちゃんが目指していた作品そのものではないのでしょうか。
作者さんは涼宮ハルミシリーズも読んでいらっしゃるのでしょうか。
私も5月についに発売が決定した「涼宮ハルミの驚き」を待ち望む輩の一なのですが、ハルミシリーズの場合は作者さんも触れていたとおり哲学的思考の足かけにはなっても直接哲学入門には繋がらないですよね。やっぱり私の作品でもそうですが物語として面白くしようとすると哲学は「添え物」にならざるをえないかと思います。いや思っていました。作者さんの「哲学的な彼氏企画」では哲学をメインにしながら読み物として面白く、さらに「哲学ってなんだろう……そんなに面白いのかな」って読者に思わせるだけの力があると思います、非常に感心しました。
私事になりますが、私はこの企画の外でも創作をしております。
そこで私は様々な学問(についてできるといいのですが実際は主に数学と自然科学)を物語を通してできるだけ分かりやすく、面白く、興味を惹くように伝えられるようにしたいと色々考えています。そんな私にとってこの作品の構成はとても参考になりました。すごいです。

物語についての批評ですが、後半が少々散漫だったのと、クライマックスが弱いのが気になりました。また、「アリスとテレス」の件についてはアイディアも内容も破顔必至だったのですが、ネタにしては少し長過ぎるかな……と思いました。
しかし、それを差し引いても50点をつけていたと思います。(……つけられてないですが(汗))
クライマックスに関してもライトノベルの一冊目だと思うと、もう少し整えればうまいオチになると思いますし、津久見ちゃんの気持ちが伝わらないあたりが次巻を読みたくなるような引きになると思います。というかすいません、正直、続きがあるのなら読みたいです。(笑)

キャラクターに関しては、設定が非常に冴えていたのではないかと思います。
先輩が二人いること。つまり主人公がわからない会話をする『大人』がいること。こういう人物配置は素人ではできません。そして上手に活用していると思います。自然と文芸部の光景が浮かんでくるのですね。これもやはり文学的というよりはラノベ的だと思いますが、良い結果を生んでいると思います。私は純文学至高主義者ではありませんのでね。

いやあ本当に面白かった。
最近読んだ本の中では芥川龍之介さんの「芋粥」、見たアニメの中では「機動戦士ガンダム(無印)」の次くらいに面白かったです、いや本当に。

ごちそうさまでした。

色音
149

pass
2011年01月02日(日)22時23分 橙。 Pu6zR7isB. 作者レス
>真柴竹門さん

 この度は、非常にご丁寧なご感想、真にありがとうございます。

 行頭下げの出来ていない部分ですが、ご指摘を頂いてから見直すと出るわ出るわ。山のような修正を致しました。
 ご推測の通り、作成はWordです。普段はメモ帳直打ちで済ませることが多いのですが、今回は投稿時のレイアウトも考えてみようと不慣れなWordを使い、ページ設定をしたのですが、いつの間にか行頭下げられてるわ、ページ設定ミスをして分量超過の痛恨のミスをするわで、散々な目に遭いました。全部私の勉強不足が原因なので、エディタの使い方から学び直してみようと思います。

>「哲学的な彼女」企画に対する評価

 評価というより、私なりの歪んだリスペストです。作品のプロット考える際に、作中の津久見と佐伯のように、アイデアを出しては自分で没にするのを繰り返し、あまりに妙案が浮かばず、挙句に「そうだ、この思考過程をそのまま小説にしてしまえ!」と自棄になったのがこの小説の始まりです。
 書き上がってみれば、自分の思考過程そのものは大した量は残らなかったのですが、
『文芸部のカップルが、哲学的な彼女企画をどう書くかで論争する』という骨子は僅かに残せたかな、と思っています。
 この企画に対して批判的な書き方をした部分もありますが、それは津久見を悩ませるための佐伯の意地悪として書いたもので、私は津久見側の人間です。執筆もノリノリで楽しめましたし、この正月休みで皆様の作品も楽しんで拝読させて頂いているので、この素晴らしい企画を開催して頂き、場を提供して下さった飲茶さんには感謝の言葉もありません。
 もし飲茶さんがこれを読まれて御不快に感じられるようなことがあれば、その時は五体投地してお詫びしなければな、と思っています。


>なぜ哲学に強いヒロインなのか
 これが、私が一番悩んだ部分でもあります。他の諸学問ではなく、哲学でなければならない理由、哲学の差別化です。
 ツンデレならぬ、テツガクという新たな属性を開発して認知させることが、哲学的彼女の目指す到達点の一つかな、とか大それたことを考えたりもしたのですが、流石にそんなものはどれだけ頭を捻っても開発できるわけがなく、このような形になりました。
 何故哲学ではなければいけないのか、という問題については、頭の端に残して、今後の課題にしようと思っています。

>「萌え萌え特殊銃器事典」
 面白そうなので、書店で見かけたらぜひ読んでみようと思います。萌える〜系は、個人的にはぶっ飛んでればぶっ飛んでる程好みです。

>翻訳賛成派

 私も基本的には翻訳賛成派です。生きるべきか死ぬべきか〜の翻訳列挙は、翻訳家の方々の苦心も示さなきゃ、と思って入れてみました。
 名作を解り易く広め、翻訳することによって作品の新たな解釈や可能性が広がり、原典を超えることも十分にあると思っているのですが、講師役の蒲江のポジションが『シェイクスピア信者』なので、原典礼讃という形になりました。

>哲学バトル
 あれは、今作一番の悪ふざけです。トンデモを越えた、黒歴史小説として書きました。今思うともう少し、漆黒の翼とか紅と蒼の瞳とかの、中二要素を混ぜても良かったなか、と思っています。
 
>ソフィーの世界
 このオチの登場は唐突過ぎるよな、と思っていたのですが、ソフィーの世界は、あまりに有名なのに取り上げないことを伏線に、という苦しい形になりました。ソフィーの世界は、ソの字を出しただけでも解る人には一発で解ってしまいますから。哲学初心者向けの本を調べまくって、というのは非常に面白いアイデアですね。でも、今アマゾンで哲学の本を調べると筆頭で出るのは飲茶さんの本なので、やっぱり扱いが困ることに。
 哲学初心者向けの本がこんなに並んでいるのに、飲茶さんの本が入っていないのはおかしい! みたいな。

 
 さて、今回は分不相応な御贔屓と高得点、本当にありがとうございます。
 何より、こんな長くて面倒な作品を最後まで読んで下さったことに心の底からの感謝を。
 正直、こんなマナー違反を犯してしまった作品だし、上下巻なんて読むの面倒臭いだろうし、感想が一つも来なくても自業自得だな、と思っておりました。
 ところが、投稿したその晩にこんな丁寧なご感想を頂き、こんな拙作を細部まで読んでくださり、この作品を書いたことは完全に報われたと思いました。
 本当にありがとうございました。重ねてお礼申し上げます。


pass
2011年01月01日(土)01時27分 真柴竹門  +40点
はじめまして、真柴竹門です。
紅白歌合戦の水樹奈々「PHANTOM MINDS」を聴きながら「哲学的な彼氏企画」(上中下巻)を楽しんで読ませていただきました。
まず細かくて批判的な指摘をしてから、全体的な視点からの高評価を書いていきたいと思います。

まず行頭下げが出来てないところが……

>蒲江先輩が愛するのは、野津原先輩とは対照的に西洋文学
>しかし、現在の津久見の筆力を考えれば
>物語の本質など、受け手の解釈によって変わるもの
>何の因果か、この泡沫文芸部の顧問を務めており
>津久見が哲学とバスケ
>ヒロインはどこかで見たような萌えキャラばかりだし
>しまえ、と言おうとした瞬間
>俺は無神論者だが、この時ばかりは

……ほど見つかりました。早めに「書直し」をしておいてくださいね。
勝手な推測ですが、恐らくWordでも使ったんじゃないでしょうか?
私もWordで小説を書いたから、あの変な自動行頭下げ機能に苦しまれました。
ノベルチェッカーが「哲学的な彼女」企画の「ルール」にありますので、それを利用しましょうね。

では上巻の感想から。
とにかく出だしにやられました。ぶっとびすぎて興味が湧きまくりになりました。わたし的には掴みはOKです。
ただ「ソクラテスを彼氏、プラトンを彼女」にするくらいなら「アテナイの学堂」ネタを利用してもよかったのでは?
「プラトンを彼女、アリストテレスを彼氏」にしたら「二人は違いすぎて合うわけねーじゃん!」って佐伯の造詣の深さを表せたと思いました。
でも「小一時間問い詰めたい」などの小ネタが満載で、退屈せずに上中下巻を読めましたから、やっぱり橙さんは色んなことを知っているなと見えました。
そんでもって「哲学的な彼女」企画に対する評価は野心的でした。飲茶さんがこれを読んで怒らないのかなと心配したくらいです。
でも指摘の内容はそこそこ正しいと思いますよ? なぜ数学、物理学、天文学に強いヒロインじゃなく哲学に強いヒロインなのか?
今回の企画で、この疑問に答えられる小説家は少ないと思いますね(学者が執筆してるならともかく)。橙さんはこの企画の投稿作品を読まずにそれを察知してたのはなかなかの卓見です。
だからエヴァを筆頭にした哲学的エンターティメント作品への批判も当たっているでしょう。
ただ私は「もしドラ」を凄え楽しんで読んだ人間ですので、ちょっと堪えます(泣)。橙さん! 「萌え萌え特殊銃器事典」を読んでみて下さい! あれは半端ないッスよ!

中巻に移ります。
デリダとかクオリアをネタに部員四人がトークする姿は、津久見の成長を願って指南しているように見受けられました。
実際に私は、津久見のピリッとした鋭い指摘を見て『確かに大器晩成型かも?』と思いましたもの。
この時点で何となく『ラストのオチは年をとった津久見が、ソクラテスみたく道端か、もしくは大学で教鞭を取って立派な講義をしているのかなあ?』と想像を膨らませました。
そうなったら、まさにロリババアですね。いや、意味が違うか。……あ〜でも、そんなオチをしたら萌え要素が掻き消えてしまいますしね〜。う〜む、オチは難しい。
シェークスピアの翻訳の話で、話の流れが「翻訳なんてどう頑張ったってダメダメ」的展開になっていって、翻訳賛成派の自分としては腹が立っていきました。
けど「ホンヤクコンニャク」の例えを持ち出されたとき、一発で『あ〜確かにな〜』と納得されてしまいました。例えが巧みですね。

では下巻に。
「哲学でバトル」のアイディアが出た時、思わずニヤッとなりました。モロに飲茶さんの「史上最強の哲学入門」ですもん。
そんで合計たった三十五分で書かれたトンデモ哲学小説ですが、ホント読み進めるのに大変でした。いや、文体は読みやすいのですよ。
ただ明らかに私の中で拒否反応が起こりまくってしまって(笑)。
「ソフィーの世界」が出てきた際も、ニヤリです。ただ、もうちょっと伏線が欲しかったかもです(私、ミステリー野郎ですから)。
「コンピュータの中の世界」という「マトリックス」ネタだけでなく、例えばAmazonとかで哲学初心者向けの本を調べまくって、津久見が本を一杯持ってきた描写を描くのです。
そして、本のタイトルを実名でズラズラ〜ッと書き、その中に「ソフィー」がなかったり、とかいいんじゃないですか? 浅知恵ですけど。
ただ「一つは嫌悪。一つは無関心。もう一つは、極度の愛情だ」の推理は『上手いな』と感心しました。
オチもロマンティックでしたし、この世界観の中で最適な締め方だと思われます。

最後に全体的な感想を。
日常、というかサブカルチャーの世界で哲学する若者の姿が小気味よく描かれていますね。
キャラやストーリー性が弱い気がしますが、雰囲気や文章力は高いように感じました。
テーマですけど、一言でいって「将来化ける女哲学者が、まだまだ未熟だった頃の青春物語」だと捉えながら拝読しました。
とても面白かったです。有意義な時間をすごさせて頂きました。ありがとうございます。

さて、長々と感想を書いてきましたがこれには訳があります。
はっきりいって橙さんを贔屓、いや依怙贔屓しています。
橙さんは分割投稿というマナー違反をして悔やんでおられるようですが、上には上がいるのですよ。
実は私も四万文字を超える小説を書きました。
それはミステリー形式のため分割しやすかったこともあり、何と飲茶さんに許可を得ようともせずに前部分を投稿してしまったのです。
今日、あなたの「作者からのメッセージ」を偶然見て、社会的常識を思い出し、飲茶にメールを送りました。
しかし返事が来なかったので、お蔵入りするのも嫌だと思い、後ろ半分のほうも許可を得ないまま投稿するという強行に出たのです。
多分、こんだけ感想を書くのは橙さんだけでしょうね。変な同情の念で不快感を催してしまったのなら、ここで謝罪します。すみませんでした。
点数のほうも、三十点のつもりでしたが大甘に四十点差し上げます。
やってられない気持ちをぶつける感じで橙さんの小説を読んでしまいました。こんな私ですがどうか許して下さい。

135

pass
合計 6人 170点


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