日常と勉強と少々の哲学
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「もうこんな時間か。今日はこの辺で終わりにしておこうか」
 教室の時計を見ながら彼は言う。
「はい、先生!」
 目の前に座っている少女が無垢な笑顔で返事をする。


 彼女が彼に勉強を教えてほしいと頼んだのは数週間前である。
 彼は学校の成績で常に上位をキープしていた。彼女の方は中の下といったところだろうか。大学入試が迫ってきた1学期の中間テスト後、このままではまずいと思い、彼に教えを請うことにしたのである。
 二人の接点は同級生と言うだけで、その他の接点はほとんどないが、彼は快く承諾した。

高校の帰り道。
 帰る方向は同じなので、途中まで一緒に帰るのが日課となっていた。
 さっきまで勉強したものの復習をしたり、他愛のない会話をしたりと、ごく平凡な日常である。

「そういえば、先生って……」
「だから、僕は『先生』ではないから。普通の高校生だよ?」
彼はやや困惑したように笑いながら答えた。
「いいんだよ。わたしが『先生』だと思ってるから。で、先生はいつも本読んでるけど、どんな本を読むの?」
 教室の自分の席で暇さえあれば本を読んでいる彼への素朴な疑問だった。彼女としては、どんな本を読んでいれば『先生』のように頭が良くなれるのかを知りたかったのだろう。
「どんな本と言われても……なんでも読むよ? 好きな本は人文学系の評論文って言うのかな、そういうのが好きだけど」
「ジンブンガク?」
 彼女は頭の中で字を変換できていないようである。
「『ひと』っていう漢字に、文章の『ぶん』。学はそのままだよ」
「へ〜! どんなことが書いてあるの?」
「君は難しい質問をするね。僕に人文学を定義せよと?」
「そんな難しいこと言っていないよ! だいたいでいいからどんな内容があるのか知りたいの」
 彼女は未知の単語に好奇心を示している。

彼が話す内容でわからないことがあると目を輝かせて彼に詳しく聞こうとするのだ。
 こんなにも好奇心旺盛な彼女が成績のことで悩むのは正直彼にとって不思議でならないことである。おそらく周りの人が、特に大人が彼女の好奇心から発せられる質問をまともに返さなかったのであろう。

「人文学系では何を扱っているのか、か。わかりやすく言えば、文学とか、言葉とか哲学を学ぶ学問系統かな」
「あ、哲学って倫理のときにやったかも! そういう本が好きなのか〜」
 彼女は納得したようにウンウンとひとりでうなずいている。
「何に納得してるの?」
「え? 先生がアタマイイ理由が何なんとなくわかったからだよ」
 彼女はうれしそうに答える。
「だから、僕は『先生』ではないし、頭が良いわけでもないよ」
 彼はやはり困惑気味に答える。
「なんでそんなにいやがるの?」
 彼女は悲しそうな顔で彼を見つめて聞く。
「だって僕は自分が頭良いと思わないし、『先生』と呼ばれるほど偉い存在だと思わない。それに、そんなことは客観的事実でもないしね。」
「キャッカン?」
 彼女は聞きなれない単語をなんとか漢字にしようとがんばっている。
 ほどなくして、彼女はあきらめ、『先生』を見つめる。
「客観というのは、周りから見てどうかということだよ。自分から見てどうだっていうのは主観って言うの。主観的判断は自分一人しか認める者がいないから事実とは言い難いでしょう? 客観的判断だとより多くの人が認めるから事実と言いやすい。そうだと思わない?」
 
 彼女はやや考えて、難しい顔で答える。
「それは違うんじゃないかな。『しゅかん』だって立派な事実だよ?『きゃっかん』じゃしることのできない『しゅかん』だってあるでしょう?」
「例えば?」
 今度は彼が好奇心をもってたずねる。
 彼女は知らないことが多いが、よく頭は回るらしく、時々鋭い発言をする。彼はひそかにそれを楽しみにしているのだ。
「先生は何かきらいな食べ物ある?」
「キノコ類はダメだね。あんなのただのカビだよ。菌糸の塊だよ。美味しいとも思わないし、食べる気になれない」
「でも、ほかの人たちがおいしいって思ったらキノコはおいしいことになっちゃうよ? そうするとキノコをおいしくないと思ってる先生にとってもキノコはおいしくなっちゃうよ? それが先生にとっての事実なの?」
「そんなことはないけど……」
「わたしが頭いたいときにほかの人はわたしがどのくらい頭痛いのかわからないよ? まわりの人が、頭痛くないはずだ!って言ったら、頭いたいのは事実じゃないの?」
 
 彼は反論できなかった。
 彼が話した上での主観と客観をしっかり把握し、好例を用いて反論するあたり、彼女が生まれつきこのような思考が得意であることをうかがわせる。
「わたしにとっての事実は絶対に事実だし、まわりがどう言おうとそれはわたしの事実を、わたしの世界を変えられるものじゃないんだよ。『しゅかん』に勝てる『きゃっかん』なんてないんじゃないかな?」
 彼は妙に納得してしまった。
 もちろん彼に反論は可能であるが、さっきまで主観と客観という言葉を知らなかった少女の頭の回転の速さの方に驚き、そんなことをする気にもならなかった。
「あ、そろそろお家に着くね。先生と話してると時間が早く感じるよ。いろいろと考えることができて楽しいしね。」
 彼女の思考をいとわない態度に彼は感心する。
 彼女と会話していると、もっと自分も精進せねばと彼はいつも思う。彼女との会話が彼の好奇心にも良い刺激になっているのだ。
 

「じゃあね、先生。また明日もよろしくお願いします」
「こちらこそ、よろしくお願いします」
 彼は彼女に敬意を持ってお辞儀して言った。

「? 勉強を教わっているのはわたしなのに、変な先生」
 彼女はくすくす笑って、自宅へと帰って行った。
島中栄一郎 HZNumONYMs

2010年12月31日(金)20時03分 公開
■この作品の著作権は島中栄一郎さんにあります。無断転載は禁止です。

■作者からのメッセージ
初投稿です。
また、他人に見せる初めての小説でもあります。

小説のような文体を書いたことが無いので、稚拙なものとなってしまいました。皆様のご指導ご鞭撻を賜りたく存じます。

テーマは「哲学的な彼女」とのことですが、哲学の定義がなかなか難しいものです。私事ではありますが、大学で哲学を学ぶことが決まったとき親族から「哲学とは何を学ぶのか」と問われ困惑したことを記憶しています。

ここでは誰かの思想を紹介したり啓蒙的な内容になるのは避け、どんな稚拙なものでもいいので思考を楽しむ思弁的な態度を哲学的としました。

登場人物の名前は考えてありますが、想像の幅を広げようとあえて出さない形で発表しました。

哲学と萌えとのことですが、私なりの萌える哲学者を描いたつもりです。

精進のため、厳しい批判など歓迎です。
読んでいただいた方は感想やアドバイスいただけたらと思います。

長々と失礼いたしました。


この作品の感想をお寄せください。

2011年01月30日(日)19時24分 島中栄一郎  作者レス
>開蔵さん

人物設定についてですが、仕事柄、小学生・中学生と接しているので、高校生の女の子というイメージが明確でなかったのかもしれません。
人物設定、舞台背景を自分の中で明確にしてから書き上げるべきでした。
次に作品を書く機会があればそのあたりをじっくり練っていきたいと思います。


>魚さん

「事実は小説よりも奇なり」から着想を得て、「なんでもない日常が、実はドラマチックなのだ」という思いを込めて書いたので特に山場など無く、フラットに書いてしまいました。やはり読み物としては面白みにかけるなと読み返して痛感いたします。
続きの構想はあるのですが、やはり平凡な日常が延々と続いていくだけなので、恐らく発表しないと思いますが、もし発表することがあれば、そのときはまた感想を頂ければと思います。


>undoさん
また作品を書く機会があれば、物語にもっとふくらみを持たせたものにしようと考えています。いつか別の私の物語をご覧になる機会がありましたら、是非感想をお聞かせください。

pass
2011年01月26日(水)14時42分 undo  -10点
教育番組のスキットのようですね。
丁寧に書かれてはいますが、小説としての面白みには欠けています。
107

pass
2011年01月16日(日)16時54分 魚  +10点
読みやすくて好感がもてる文章でした。主観や客観の話もわかりやすくて良かったです。

ただ内容や展開に起伏がなく、インパクトもなく終わってしまって残念です。ぜひ続きをかいて欲しいと思いました。
123

pass
2011年01月08日(土)00時49分 開蔵  0点
>二人の接点は同級生と言うだけで、
この記述を受け入れ難く感じました。というのも彼女はあまりにも幼げだし、
先生の口調は、たとえ先生の口調の地が丁寧なものなんだと想定しても、同級生に対するそれとしては不自然かな、と。
彼の丁寧さは、子どもと目線を合わせるために腰を落とす、といった配慮に基づく丁寧さに思えたからです。

>「だから、僕は『先生』ではないから。普通の高校生だよ?」
彼女の幼い振る舞いや言葉遣いもあいまって、この箇所からは彼女が高校生以下であるかのような印象を覚えます。
というのも、互いに同級生ならば、先生が強調するのは互いに同年代であることであり、
先生が高校生であることではないだろうと思ったからです。
ジンブンガクを漢字変換できないところからも、彼女は小学生または中学生だと私は思い込んでしまいました。
だからその後も、彼女が授業で倫理をやったという台詞も引っかかったり、
最後まで入り込めぬままの読了となりました。
アホ毛が生えているような子として解釈もしましたが、その場合は先生の丁寧さがそのアホっぽさを殺してるとも。

雰囲気は好みです。ちょーぜつ読み易いし。それだけにもったいないなと思いました。
私が先入観から抜け出せなかっただけかもしれませんし、ちょっとビクついてますが、このまま送りたいと思います。
112

pass
2011年01月02日(日)19時29分 島中栄一郎 HZNumONYMs 作者レス
色音さん、白光さん、いもさん、メッセージありがとうございます。
お返事を書かせていただければと思います。

>色音さん
私のメッセージにも書きました通り、啓蒙的な内容になるのを避けたので、テーマの哲学的な内容としては確かに薄いかもしれません。
小説ではありませんが、いろいろ日々思うことや、大学での講義をまとめるような内容で文章を書いてmixiで公開しています。mixiをやっているのであれば、よろしければそちらもご覧ください。
mixi上のニックネームは「おりと」です。「埼玉県」「哲学」などのキーワード入れればヒットすると思います。
感想ありがとうございました。


>白光さん
彼女のセリフや言動を表す地の文では難しい漢字をあえて避けてひらがなの柔らかい効果を出せればと思っていたのですが、読み返してみると、おっしゃる通り、漢字にすべきところがひらがなのままでした。チェックが甘かったようで申し訳ありません。
ご指摘ありがとうございました。
物語のpunchlineと言うのでしょうか、オチと言うのでしょうか……たしかに弱いと自覚しております。
日常を描くことを意識し過ぎて、物語に広がりを持たせられず、このような締めくくりとなってしまいました。
「起承転結」や「序破急」などつけない、私なりのアリストテレス批判、ひいてはソクラテス以来の理性主義への批判を込めて、山場と言えるようなものを作らないのが災いしたようです。
勉強をして、良いpunchlineが書けるよう頑張ります。
ご指摘、感想、ありがとうございました。


>いもさん
「我が意を得たり」といった感想ありがとうございます。
いもさんが仰っていることをまさに意識してこの小説を書きました。
レトリックを多用し、華美なゴシック建築的な文体を避け、哲学史講義のような哲学者の紹介も避け、簡素に、簡潔にと心がけました。
ただ、色音さんや白光さんがおっしゃる通り、内容が薄いのも事実なので、素朴さを保ちつつ、ふくらみを持たせられるよう精進して参りたいと思います。
読んで頂き、また感想までいただきありがとうございました。

pass
2011年01月02日(日)05時51分 いも M8vT5jA.U. +10点
すごく素直な文章ですね、ビックリするくらいに。
素朴ですがとても好感が持てますw

哲学って、ややもすればどんどんややこしい方向へ進んでいって、場合によってはそれが良いことのように扱われて、最初の一歩の「そもそも」がなんだったのかを忘れてしまうことがあるのですが、この作品においては哲学の「一歩立ち止まる」という方法論を自身に適用させることでその泥沼を回避しています。
下手に奇をてらったものより、こうして素朴に現象学を実践しているような作品の方がより価値が高いと思いますね。
面白いことに作品の主題自体も現象学ですしw

114

pass
2011年01月02日(日)01時24分 白光  0点
はじめまして、白光(びゃっこう)と申します。
感想を言わせていただきますと、第一に感じたのは(単純な変換ミスかもしれませんが)「漢字にすべき所を漢字にしていない」ということです。
もちろん、そのような表現技法もありますし、実際にこの作品でも効果的に使われていますが。
知る、密かに、諦めくらいは漢字がいいと思います。

それ以外には特に気になった点はありませんが、最後が弱い(自分も言われているのですが)と思います。
128

pass
2010年12月31日(金)20時52分 色音  0点
「哲学の教科書」があったらそれに載っていそうな話だと思いました。
ですが、この企画に投稿してある作品を読む人はきっと皆さん多かれ少なかれ哲学に造詣があるかと思われます。そういった方々からすればあまりにも「当たり前」な内容である気がします。(とはいえ「当たり前」を考えるのはとても大事なことですけどね)
大学で哲学を学んでいるとのことですから、次回があれば作者さんのもう少し深い内容の作品が読んでみたいものです。
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pass
合計 6人 10点


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